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スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』12

久保木哲子・著

(光言社・『回顧録 愛あればこそ』〈2015525日初版発行〉より)

 スマホで立ち読み第27弾、回顧録『愛あればこそ』を毎週金曜日(予定)にお届けします。
 久保木修己・家庭連合初代会長の夫人である久保木哲子さん(430双)が、2023918日に聖和されました。故人の多大な功績に敬意を表し、著作である『回顧録 愛あればこそ』を立ち読みでご紹介いたします。
 ここでは第5章と第6章を試し読みいただけます。

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第六章 グランドツアー

「救国の予言」

 1973年から翌年にかけて、久保木は「救国の予言」と題して、共産主義の脅威と危機の本質を訴えて、全国124カ所で巡回講演を行いました。そのすべての講演会に同行しました。講演後、久保木は最初に私にどうだったかと聞きます。私はとにかく、どのような話し方をして、何と何を話すというのは全部、頭に入っています。

 久保木は原稿を読んでいるわけではありません。いろいろな引き出しから出てくると思うのですけれど、場所によっては、後で話すことが先になったりしますが、言うことは大体決まっています。でも、たまに大事なことがスポッと抜けることがあります。それで、「良かったですけど、あれが抜けていました」と指摘すると、「そうか、そういえば忘れちゃったな」といった感じです。

 とにかく毎回、私だけでなく、みんなにも感想を聞くのが癖でした。

 「救国の予言」で全国を回りましたが、ある婦人がとにかく久保木のファンで、芸能人について回る“追っかけ”のように、久保木を追って一緒に全国を回っていました。その婦人が、後年、久保木が病気になって車椅子で講演するようになると、「(名誉)会長、いつ倒れられても、大丈夫ですよ。私、会長の講演、全部暗記しましたから」と冗談交じりに語ったことがありました。それくらい熱心な婦人でした。

▲全国124カ所で行われた「救国の予言」講演会。会場はどこも熱気に包まれた

 「救国の予言」で久保木が最も訴えたかったのは、「甘いヒューマニズムこそが国を滅ぼす」ということでした。

 このヒューマニズムというのは、「人間中心」「人間尊重」ということで、実に聞こえがいいのですが、そこに重大な落とし穴があるのです。

 もともと近世のヒューマニズムは、あまりに神中心主義に偏った中世のカトリックへの反省から出発したものです。

 西洋の精神的主流には、リンカーンの演説に「神の下での、人民の人民による人民のための政治」とあるように、「神の下での」といった価値観が底流に流れています。

 ところが、このヒューマニズムが日本に入ってきて思想的に脱色された結果、ヒューマニズムから神を中心とする価値観が消え去り、「あれもよこせ、これもよこせ」といった貪欲(どんよく)なエゴイズムに堕しているのです。

 これが日本的ヒューマニズムの思想で、共産主義の温床になっているものです。久保木はこのヒューマニズムの極致が唯物論、共産主義であると説いたのです。

 久保木は「救国の予言」を次のように結びました。

 「しかし、皆さん、共産主義が怖いのではありません。魂を毒されていることが怖いのであります。肉体だけの人間性を乗り越え、高い精神的理念に基づいた愛と奉仕の実践者を育成していくことが、共産主義を克服する道であります。『怨みに報いるに徳をもってせよ』という道理を日本人の教官から学んだと蒋介石総統は言っておられましたが、実に、そのような魂の実践者を輩出することこそ、日本を救う道であります」

 この「救国の予言」講演会に参加してくださった人は、延べ17万人に上りました。

 中には中高校生もやって来ました。彼らを惹(ひ)きつけたのは多分、「共産主義の脅威」ではなかっただろうと思います。ポスターにある「予言」の言葉に惹きつけられて、占い師がするような「未来予測」に興味があったのではないかと思います。そうした人にとっては多分、失望の講演会となったことでしょう。

 「救国の予言」の「予言」というのは、神がかった未来予測を述べ、手前勝手な根拠のない楽観で人々をぬか喜びさせたり、逆に意味のない不安を煽(あお)ることでもありません。

 「予言」は本来、「預言」と書き、天から預かった言葉を語るものです。そこには私心が入ってはいけないのです。預金は預かったお金ですが、預言は神様から預かった言葉なのです。

 西郷隆盛は、「文明とは宮殿の荘厳さや衣服の美麗さなど、外観の華麗さを言うのではない。文明とは『道』の広く行われることだ」ときっぱり述べています。本当にそのとおりだと思います。

 西郷は、中国から茶葉を輸入して生じる貿易赤字を、アヘンを強引に売り付けることで埋めるという、人の道に反した植民地政策にキリスト教国家の偽善を見て取ったのだと思います。

 フランシスコ・ザビエルが来日して、まず驚いたのは、日本人は貧しいことを恥ずかしがらず、卑しい心をこそ恥じた点でした。そうした価値観が変わってしまったのは、戦後アメリカ文化の影響による誤った個人主義と、何でも金銭、数字で測る社会になってしまったからだと思います。

 今だけ良ければいいという刹那(せつな)主義、お金があればいいという拝金主義、それに他人はどうなっても自分さえ良ければいいというエゴイズム。「今だけ、金だけ、私だけ」という、現代社会に蔓延(まんえん)している皮相な処世観を一掃しなければ、この国に未来はないと思います。

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 次回は、「宗教の時代」をお届けします。



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