拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 6
「死んでしまいたい」家族からの拉致監禁、脱会屋の罵倒
(世界日報 2023/10/11

延々と中傷、罵倒を浴びせる 責めたてる脱会屋ら
 荻窪フラワーマンションに移ってすぐ、年が変わって1998年になった。

 1月初旬から9月まで、毎日のように脱会屋の宮村峻・会社社長が元信者らを引き連れて804号室にやってきた。そして、決まって夕方6時から夜8時ごろまで腰を据えていた。

 タップという広告代理店の宮村社長は、その従業員に雇っていた元信者らと一緒のときが多かった。後藤さんは、95911日に自宅から新潟に拉致されたが、この時、自宅の庭で逃げ道を塞ぐように潜んでいた拉致加担者も、その中にいた。

 宮村社長と元信者56人は、やって来ると、いつも後藤さんのいる部屋につかつかと入ってきた。

宮村「後藤君、久しぶりだね」

後藤「いきなり来ますね」

宮村「いきなり来ないと、君、逃げるだろ」

 後藤さんは、87年にホテルに監禁された時、そのホテルに連日やって来て、説得されて以来の対面だった。

 こんな会話が交わされてから、50がらみの女性が後藤さんの前にどっかと座ると、いきなりあぐらをかき、たばこを取り出しすぱすぱと吸い始めた。後藤さんは、いかにもがらが悪くやりきれないな、と思ったが、黙っていた。

 すると「あんた、あの時逃げたでしょ」と、すごみを利かせた声が耳に入ってきた。

 「あの時」とは、87年の監禁時で、この女性もまた統一教会の元信者で、その当時から後藤さんの存在を見知っていた。周りの者たちも、そうだ、そうだと同調して、同じような言葉で責めてきた。

 小さな机と洋服だんすしかない、いかにも殺風景な6畳の部屋。夕闇が真の闇となる窓外の風景の刻々とした変化をよそに、取り囲んだ人間が、非難、中傷、罵倒を延々と浴びせかけてくるのである。

 そうかと思うと、ある者は、ぽろぽろと涙を流して「後藤兄(昔の教会仲間としての呼び方)、あなた、とんでもないことをしてきたんだよ」と哀れっぽい声で、情に訴えかけてきた。その雰囲気に呑まれて、つい「そんなこと言われても……」と、戸惑い気味に弱気な言葉を口にすると、今度は突然、一転して「何言ってるのよ」と、ものすごい形相で、卓上の湯飲みの緑茶を後藤さんの顔に浴びせかけた。着ていたTシャツがびしょぬれになった。

 しかし、後藤さんも負けてはいない。宮村社長らに対して、「ここから出せ!」と要求したあと、続けて「あんたら、統一教会は人権侵害をしていると言うが、統一教会は人を監禁したりしないぞ! あんたらの方が人権侵害をしているじゃないか!」「信教の自由を何だと思っているんだ!」と、激しい剣幕で言い返したのである。

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 次回は、「『畜生、ここから飛び降りてやる』続く膠着状態、先が見えず募る焦り」をお届けします。