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拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 5
止まらない誹謗中傷、脱会屋「宮村峻」
(世界日報 2023/10/11

偽装脱会を告白 監視の厳しさが増す
 偽装し、家族の脱会強要のプログラムに合わせてきた後藤さんだが、常に自分を演出し続けることに、ついに耐えきれなくなった。荻窪フラワーホームに移って数日後、監禁部屋に兄を呼んで、ちゃぶ台を挟んで座らせた。

 後藤さんは、緊張し、怪訝な面持ちの兄に対し「実は、私はまだ信じています。今まで、偽装脱会をしておりました」と言うや、机を思いっきり“ガン”と叩いた。そして「こんな監禁などという手段を使うあなた方が悪いんでしょう」と、長い間無理やり心にねじ込んできた思いの丈を一気にぶつけた。

 ところが家族のほうは、あっけにとられた。母親は非常に動揺し、ショックを受けていた。そのリアクションから推察して「母親は、自分の息子が脱会し、ほどなく監禁を解かれ解放されるものと信じていたようだ」という。

 後藤さんが大学時代まで、一家は互いに信頼し合って暮らしていて、両親にとって自慢の子供たち、後藤さんら子供には尊敬すべき両親だったという。父親も母親も、拉致監禁というような違法な取り組みは極力避けたかったに違いない。

 その父親も、この時、亡くなって半年もたっていなかった。一家の大黒柱だった父親は、大手製紙会社の管理職を勤め上げ、子供3人を最高学府まで送った。家族らは、父親の犠牲をもって、今度こそ、後藤さんの脱会説得が果たされる、これで父親も浮かばれる、というぐらいの思いが心のどこかにあったのかもしれない。

 後藤さんが依然として信仰を維持していると分かって、兄は兄で「やっぱりそうか」と吐き捨てるように言った。“落ちる”のが、当初1年もかからないと、兄たちは高をくくっていた節がある。

 実は、兄と妹は、以前、統一教会の信者であったが、脱会屋の宮村峻・会社社長らの強制説得に遭い、半年もしないうちに棄教してしまった過去があった。兄は「今度は徹の番だ」と意気込み、自分たちが脱会させられた手法や要領を踏まえて、後藤さんに対処してきた。妹の立場も同じだ。

 教会についてはほとんど知らない両親がそれに従った、というのが実際だろう。ところが、半年、1年と監禁は長引き、彼らの思惑は外れてしまった。

 だが、後藤さんにしてみれば、繰り返し繰り返し棄教や脱会を迫られ、偽装脱会中も執拗な監視が続けられた。

 監視の厳しさについてこんな話がある。このフラワーホームに移る前に、6カ月ほど監禁された荻窪プレイスでは、兄が外に出て行く時、その何分か前に、決まって兄嫁が換気扇のスイッチを入れていた。後藤さんによれば、換気扇が、があがあと回る音で、兄が出て行く気配や、玄関を開閉する音を消し、後藤さんに気付かれないようにするためではなかったか、というのである。

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 次回は、「『死んでしまいたい』家族からの拉致監禁、脱会屋の罵倒」をお届けします。