拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 4
「まるで犬扱い」監禁場所は東京だった
(世界日報 2023/10/11

2の監禁場所へ 玄関には特殊な鍵が
 後藤徹さんが東京・保谷市(当時、現在・西東京市)の実家に帰ったところを拉致され、新潟市に連れて来られたのは19959月。そして19カ月を経て、東京に移された。

 監禁場所が実家とそう遠くない東京・荻窪あたりだということを後藤さんは薄々感付いたが、再びワゴン車に乗せられての移送は、夜の暗い中だった。明確な場所は最後まで分からなかった。

 ただ、マンションのベランダのところに鉄パイプが1本、最上階から下の階まで縦にすっと通っている特徴ある外観だったのが他とは違うという印象があった。

 一昨年、解放された後、後藤さんは刑事告訴し荻窪警察署の事情聴取を受けた。その時、担当官に同行して現場の確認を行った。

 まず訪れたのは、JR荻窪駅のすぐそばにあるマンションだった。「後藤さん、このマンションですか」と担当官が指さした建物は、確かに雨樋の金属パイプが一本通っていたが、記憶していた外観とははっきり違っていた。

 次に案内されたのは、そのすぐ裏手にあるマンションだった。地下にあるJRとメトロが乗り入れる荻窪駅から地上出口に出て、石畳風の洒落たカラータイル敷きの南口仲通り商店街を5分ほど行った所だった。外観が記憶と一致し、後藤さんはうなずいた。マンションの表示板には「荻窪プレイス」とあった。

 最初に、わざと違うマンションに案内され試されたような感じだったが、警察は既に捜査で現場を特定。その確認をとっただけのことであろう。それでも、後藤さんにとっては「荻窪駅にこんなに近いところだったのか」ということは驚きであった。

 その6階の一室に押し込まれたのであった。室内はトイレと風呂と玄関が相接するようにしてあった。隙を見て逃げられるかもしれないと直感したのは、新潟のマンションのように、長期間監禁するには、決して好ましくない間取りだったからだ。

 移動があまりに急だったので、監禁に適した部屋を手当てできなかったのであろう。

 それでも、偽装脱会中の後藤さんは、軽率な行動は取れなかった。常に監視の目があり、玄関口をじっと見ていただけで「何やってるんだ」と警戒されてしまう。その上、玄関はカーテンが引いてあって、じっと見ても、なかなか様子が分からなかった。

 それでも、わずかな隙を見て凝視すると、ドアのノブのあたりに何かが付いているのが分かった。そして何かしら数字も見えた。「あっ、数字を合わす鍵だ」と気付き「これではだめだ」と、瞬間的に暗い気持ちになった。玄関ドアには特殊な鍵が付いていた。

 まだ、監禁を解くつもりがないのだと分かると、憤りと絶望感にうちひしがれた。

 家族は「(後藤さんが落ちるのは)長くても1年もかからないだろうと思っていた節がある」と後藤さんは語る。それが予想を超えて監禁が長期化していくにつれ、兄はだんだんいらついてきた。

 ある日、後藤さんが、何気なく玄関近くに行った。すかさず、兄は「向こうに行ってろ!不愉快だ」とどなり散らした。急に切れたようになったのだ。

 その場の空気がさっと凍り付いてしまい、後藤さんは黙り込むしかなかった。父親も亡くなったことで、家族の間もさらにぴりぴりとして互いの心がささくれ立っていた。

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 次回は、「止まらない誹謗中傷、脱会屋『宮村峻』」をお届けします。