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拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 3
事件は607号室で起きていた
(世界日報 2023/10/11

607号室」が記憶と一致
「いやな感じ」呟く後藤さん
 後藤徹さんは、監禁現場の部屋を「605号」室だと知り、そうメモに残したが、現場に行ってみると、そこは体が覚えていた角部屋ではなかった。そこで、後藤さんの記憶を基に列記した、現場を特定できそうな事項と、マンションの間取り図を基にして、該当する部屋を調べていった。

 すると、ある不動産会社が売りに出していたパレスマンション多門の物件情報にある間取りとほぼ一致した。角部屋でないために若干の違いはあるが、後藤さんの記憶と同じタイプの部屋だった。

 さらに後藤さんの記憶を基に調べると、ほかの証言が確かなものとなる証拠も見つかった。

 後藤さんが新潟にいた3年後の2000(平成12)年に撮影された新潟市内の航空写真である。この写真には、パレスマンション多門の南側に隣接した建物が写っていて、その屋上には貯水タンクもはっきりと確認できる。

 建物は、新潟に本社を置く新和証券のものだった。同証券のホームページを見ると、1966(昭和41)年5月から2007(平成19)年11月まで、パレスマンション多門の隣の住所に本店を構えていたことが記載されている。

 後藤さんが監禁中にいつも見ていたのは、まさしくこの会社の建物だったのである。

 航空写真では、今はない駐車場があることも分かった。さらに駐車場を抜けた先には大通りが見える。

 こうして、監禁現場はパレスマンション多門で間違いないことが裏付けられ、さらに部屋番号も特定できた。後藤さんは「パレスマンション多門が監禁現場だとすると、(部屋は)事情聴取で知った605号室でなく、角部屋の607号室の方が記憶に近い」と語る。

 マンションの所有者は兄嫁の親族だと聞いている。実は、この兄嫁の旧姓と、607号室の郵便受けにある名前の片方が同じだった。航空写真を見ると、後藤さんが窓から見た光景も、この角部屋から見える位置が一番近いのである。そして、この607号室こそ、廊下の一番奥、突き当たりまで行った部屋だった。

 以上のことから、後藤さんの記憶と状況がすべて一致した。この「パレスマンション多門607号室」が監禁現場であることは、ほとんど間違いないことが分かった。再び、いやな記憶の残る監禁現場を確かめられたことは、わざわざ新潟まで行ったことの大きな収穫であった。

 憲法によって信教の自由が保障されている日本であるにもかかわらず、家族に暴力によって棄教させることを唆し実行させる人たちが私たちの近くにいるのである。自身が閉じ込められ、責め立てられて合わせて12年余にもわたる想像を絶する超長期監禁の被害者となった後藤徹さん。

 この連載は、まだその最初の2年近くを綴(つづ)ったにすぎない。後藤さんの途方もない超長期間にわたる被害証言は、まだまだ続く。

 ここで過ごしたという苦々しい記憶が残るマンションを離れた後藤さんは、ぽつりと呟(つぶや)いた。

 「やはりいやな感じだ」

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 次回は、「『まるで犬扱い』監禁場所は東京だった」をお届けします。