拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 2
偽装脱会もむなしく、崩壊しそうな精神状態
(世界日報 2023/10/11

脱会装うも解放されず
逃げられぬ心理状態
 新潟市内のマンションに監禁された後藤さんは、統一教会信仰の棄教を迫って、あれこれ画策する家族やキリスト教牧師を前に、ここからどうしたら出られるかについて思いを巡らせていた。結果、信仰を棄てたと見せ掛ける「偽装脱会」しかないとの思いに行き着いた。

 後藤さんが監禁されたのは911日。それから3カ月後の12月には偽装脱会を決意した。意に反する脱会を表明し、脱会届も書いたのである。

 そして以後、それが偽装だと家族に悟られないような生活態度を取る必要があった。牧師らの教会批判に耳を傾け、素直に従っているふりをするなどの努力もしてきた。

 だが、半年が過ぎ1年が過ぎても、後藤さんの監禁が解かれる気配は一向に見られなかった。

 「なぜ脱会を表明しても出してくれないのか」

 そう思うと痺れを切らしそうになる。だが、偽装していたことが分かると、前より事態が悪くなり、それこそ何をされるか分かったものではない。監禁され、自分の意思とは違う自分を演じる中で、崩壊しそうになるぎりぎりの精神状態をかろうじて保ち続けた。

 そんな家族が監視したまま部屋を一歩も出られない状態が続く中で、父親ががんで入院した。それに伴い、母親は父に付き添いでマンションを離れた。

 兄は東京で働いていたため、たまに顔を見せるぐらい。いつもマンション内にいるのは、妹と兄嫁だけになっていた。

 このため後日、家族がついにあきらめて12年余後に解放された後、後藤さんが家族らを逮捕・監禁罪などで刑事告訴した時、警察当局の事情聴取では「この時逃げれば逃げられたのではないか」と何度も問われた。

 部外者から見れば、大の男が力を振り絞ったなら、女性二人だけの部屋から逃げることなどわけもないはず、と思うだろう。しかし、そこは簡単なものではない。逃げようと思っても、まず肝心の鍵がどこにあるか分からなかった。それに監禁された部屋は6階。窓から抜け出して飛び降りることもできない。

 それに、少しでも変な行動を見せて騒ぎを起こすだけに終わったら、それまで続けてきた偽装の努力が水の泡となってしまう。

 後藤さんは、厳重に監禁された中で偽装脱会する者の心理状態を「100%絶対出られると確信できる状態になるまでは、ひたすらおとなしくするしかない。失敗したときに、今よりさらにきつい監禁状態になると思うと、とても行動に移せなかった」と振り返る。

 第三者の目と、実際にそこで忍従している人とでは、感じ方が違ってくるのは当然だろう。

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 次回は、「『やはりいやな感じだ』事件は607号室で起きていた」をお届けします。