2023.11.03 12:00
拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 1
「しまった」気づいたときにはワゴン車に押し込まれた
(世界日報 2023/10/11)
甘かった実家帰り
無理やりワゴン車に
夜の高速道路をひた走る車から外へ目をやると、交通標識などから新潟方面に向かっていることだけは分かった。一度も行ったことがない所だった。
まだ訪れたことのない土地に行けるとなると、たいていの人は未知の情景を期待を込めて思い描いたりして心が弾んだり、多少なりとも興奮するものである。それが自然の美しい場所なら、なおさらであろう。
だが、1995年(平成7年)9月11日の夜、突如として無理やりワゴン車に押し込まれた後藤徹さん(当時31歳)の胸の内には、そんな期待はあろうはずもない。これから起こるであろう「監禁」という非情な仕打ちに、後藤さんは憤りと不安と恐怖が入り交じる気持ちの中で、とにかく逃げ出せるスキをうかがうことで精いっぱいだった。
北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)は、工作員に乗せられた船の中で「お母さん、お母さん」と叫びながら、壁を引っかいたために爪が剥がれそうになり血だらけとなった。そう北朝鮮の元工作員の安明進氏が著書「北朝鮮拉致工作員」(徳間書店)の中で記している。
後藤さんの場合は、本来助けを求めたい両親が同じ車内にいた。家族が、この時姿を見せていない“黒幕”の指導を受けて拉致を実行したのだ。
大声を出したら何をされるか分からない。182センチと長身で体格もいい後藤さんだったが、父と兄に両腕をつかまれては、抵抗できない状態をひたすら耐えるしかなかった。
この日、後藤さんは東京・保谷市(現在の西東京市)の実家に帰っていた。すでに一度は拉致監禁されたことのある後藤さんだったが、その時はスキを見て逃げ出していた。それから8年もたっていた。家族も再び同じことはしないだろうと信頼していた。
だが、それは甘かった。両親や兄、妹、兄嫁との食事が終わると、急に引き締まった表情に変わった父親から「徹、話がある」と切り出された。「しまった。また拉致監禁か」と思った時は、すでに遅かった。父と兄に引きずられるようにワゴン車に押し込められた。
車に乗せられる際、統一教会側から「職業的脱会屋」と呼ばれ要警戒人物とされる宮村峻・会社社長の下で働く従業員が庭に潜んでいるのが見えた。後藤さんの逃走を防ぐために動員されていた。綿密に計画され、家族以外の人間もかかわって組織的に行われた拉致だった。
後藤さんを乗せた車が東京から新潟市内のマンションに着いたのはその日の深夜だった。
この時は知る由もなかったが、この日から実に12年余に及ぶことになった統一教会棄教を迫るための拉致監禁の初日となった。そして2年前のきょうが、解放された日である。後藤徹さんの証言によって、“12年余の空白”を埋めるべく、その被害体験を綴っていく。
---
次回は、「偽装脱会もむなしく、崩壊しそうな精神状態」をお届けします。