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小さな出会い 10

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

思い出す人

 天国とは、こういう人のために用意されている所かもしれない——と、つくづく思った人のことを、このごろよく思い出します。それは、私が“親子”というきずなについて考えることが多くなったからでしょう。ほんとうの親になるって、何とむずかしいのかしらと思い、理想と現実のあいだを必死に手さぐりする日々。ふとあの人の生き方が、鮮やかな光のように、懐かしい愛の輝きをもってよみがえるのです。

 5年前の韓国でした。細い道に面して、「永松理髪」の看板が出ていました。小柄な、太った、気さくなおばさんという感じの方が、

 「いらっしゃい、アンニョンハシムニカ」

 と迎えてくれました。それが100名以上もの孤児を育ててこられた永松カズさん(望月カズさんの旧姓)だったのです。“愛は国境を越えて”の映画の主人公です。

 日本人でありながら、韓国動乱の戦火で親を失った孤児たちを育て始め、必死に生きぬいてきた歳月には、美談という内容をはるかに越えた凄さを感じます。今も、理髪店をやりながら、何人もの子供たちと暮らしているのです。

 私を案内してくれた福良(ふくら)さんは、日本人の中で一番信頼できる人として永松さんが親しくしているとのことでした。裏切られたり利用されたり、人間関係の苦労は絶えなかったようです。

 「一番小さいこの赤ちゃんは、家の前に去年捨てられていたんですよ」

 「まあ、そう言いなさんなって、福良にいちゃん。みんな私が生んだのよ」

 と永松さんは笑いながら、かわいくてたまらぬように赤ちゃんにキスしていました。子を捨てる切ない親が、あの人ならきっと育ててくれると望みを託す気持ちがしのばれるような笑顔でした。

 とても印象に残っているのは、みかんをさしあげた時のことです。

 「ここで開(あ)けると、これからお客さんが来たらもの欲しくねだる気持ちを持つ。この子たちにはそういう気持ちが一番こわいから」

 と、紙包みのまま戸棚にしまい、

 「これオンマ(おかあさん)の薬ね。ああ頭が痛い」

 と説明していました。

 くりくり輝く目でうなずく子供たちの素直さと愛らしさ。何よりも子供たちの気品に私は驚いたのです。強く生きてゆかねばならない一人ひとりの将来をみつめて、最も根本的なところに、思いをこめて育てている永松さんに、偉大な母親の姿を感じました。

 お腹を痛めて子を生めば、母と呼ばれはするけれど、その内容を満たすには、人間としても一つの気魄(きはく)をもった生き方をしていなくてはならないようですね。自分にとって、一番大切なものを知っていること。それを子孫にどうしても残していこう、と思える大切なものを。

 それが、家庭文化を咲かせていく根っこになるのでしょう。ユダヤの母たちの見事さは、国と家庭をつらぬく精神的な柱を、ごく自然にしかも徹底的に、子供たちに教えていくところにあると聞きます。

 いかに深く豊かな母性に至れるか……。女性は、人生の最後に、その問いに答えなければならないのだろうと思いつつ、夜の祈りを終えてきょうも子供たちの寝顔に見入るのです。

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 次回は、「いちばんいいところ」をお届けします。