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小さな出会い 9

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

君がため春の野に出でて

 細いからだで、多忙な日日をのりこえていた夫が、かぜをひいて2日ほど寝込みました。

 「やせていても芯(しん)は強い筈(はず)だがなあ……」

 「このごろちょっと忙しすぎたわよ。あったまるもの作るから、きょうは休んで治してね」

 栄養があって消化のいいものを、と、実だくさんの雑炊(ぞうすい)やうどんなどを作って枕もとに運んでいるうちに、だんだん申し訳ない思いがこみあげてきました。最近はすっかり子供中心の生活で、食事でも子供たちの好みしか考えていなかったし、夫の健康管理がおろそかになっていたことに気づいたのです。

 「このごろの女房族はね、亭主を愛していませんよ。必要としているだけで、愛してないんだなあ」と、ある売れっ子評論家が嘆いていたのを思い出します。うーん、考えてみなくちゃ、と思いました。子供がふえ、生活の年輪が重なるにつれて、夫婦の戦友としての必要性はたかまっていきます。でも、まるっきり戦友になりきってしまって、よれよれの軍服を着たまま、肩くみあって行進ばかりというのも頂けませんね。

 この間、作家の田辺聖子氏のエッセイを読んで吹き出してしまい、こういう妻と夫であれば家庭は春風だなあと思ったことがあります。

 「一点豪華主義というのがある。家具などでなく夫を豪華な一点とするのがいい。前から後からうっとり見惚(ほ)れて、ちょっとさわってみたいような、何でもしてやりたくてほのぼのするような。この人がいれば人生は豊か、私はすごい宝をもってるとニンマリしながら暮らす気持ちは実にいい」

 これ怠けてちゃ味わえない気持ちみたい。

 10年ほど前、いっしょに聖書修養会の仕事をしたある御夫人を思い出します。美しい方ですが化粧などは苦手で、信仰ひとすじに奉仕してこられた、芯の強い味わい深い方でした。そのころ、教会の教育の責任をもっておられた御主人との新生活にはいったばかりだったのです。

 「私、男性研究は生まれて初めて。素直になるの勇気がいるわね。好みに合わせたくなかったり」

 言葉通り、そばで見ていると行き違いが多くて、知らずに御主人をカンカンに怒らせたりなさってました。でも、最後は御主人の方が感動し無条件降伏ということになったようです。

 ある日の夕食で御主人の田舎の話が出て、

 「なつかしいなあ、春の山菜料理——。わたしは“野びる”の味噌あえが好きでね」と言われたことがありました。その翌日です、夫人が田のあぜ道でクワをふるっているのを見たのは。そっと見ると“野びる”を採っているのでした。柔らかい葉がザクザク切れています。“ああ根っこばかり採ってどうするのかしら”よほどお手伝いしてあげようかと思いましたが、なぜかしみじみと胸に迫る光景だったのでやめました。

 「参りましたね。“野びる”の味噌あえが山のように出てね。さりげなく優雅にできないらしい」

 そう言いながら御主人はとても嬉しそうでした。

 「彼女によって私はものの見方を教えられます」

 ちゃんと内容をみつめて感動することのできるあの御主人も、豪華一点に値しますね。

 素直な心で、神様がくれた大切な人に惚れ直しながら、戦場もほのぼの越えたいものです。

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 次回は、「思い出す人」をお届けします。