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神主義と頭翼思想 4
神主義による宗教統一の時代

ナビゲーター:稲森一郎

 新しく連載がスタートする同シリーズのオリジナル記事は、1995年10月から1996年10月までの期間、『氏族教会FAX-NEWS』に連載されたものです。
 文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁夫妻が提唱し、推進してこられた「統一運動」と、その運動理念である神主義、頭翼思想。その価値を再認識、再発見する機会としていただくために、稲森一郎氏の執筆による「神主義と頭翼思想~その理論と実践」をBlessed Lifeに再掲します(一部、編集部が加筆修正しました)。ぜひご活用ください。

宗教の本質を神の摂理から見る
 世界には数多くの宗教が存在し、その主だったものを挙げても、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教、ヒンズー教、儒教、道教、神道など、すぐ十指に余るくらいにはなってしまうのです。
 このような事実を前にして、誰しも思うことは、歴史上に宗教間の対立闘争が見られたし、現在もなお見られるということです。

 そこで、宗教間の和解の可能性はないのか、あるいは宗教の統一は不可能なのかといった疑問が湧いてきます。

 宗教の本質を、より高い次元から見ることができるなら、それぞれの宗教の間に、普遍的に共通する部分が見えてくるものです。
 より高い次元から見るという意味は、神の摂理から見るという意味です。神の摂理から見ると、全ての宗教は、理想世界、すなわち地上天国実現の一翼を担っているということができます。

神主義時代の到来
 一見、違うように見える各宗教は、神の本質と属性、また救いの意味やその方法などを、それぞれ異なる言語表現で行っているため、その内容までも違うものに見えてしまうということです。

 しかし、大なり小なり、それぞれの宗教の本質的な部分は共通しているものです。
 それぞれの宗教が違うように見える大きな理由は、それぞれが生まれた時代の相違、またその宗教を中心的に担った民族の相違、さらには、その宗教を育んだ風土や環境の相違など、時代性、民族性、環境性が異なるためです。

 神はそれぞれの時代とそれぞれの場所にふさわしい方法と内容を持って語りかけてこられたので、宗教同士が違ったもののように見えてしまうのですが、時代と場所、言語などの特殊性に対して高い次元に立って適切な解釈と処理を行えば、それぞれの宗教は、お互いに共有することのできる普遍的な本質を持っていることが分かります。

 神主義時代の到来は、一つには、無神論、反宗教を標榜(ひょうぼう)した共産主義の終焉(しゅうえん)によって高らかに告げられましたが、二つには、宗教間の対立の解消、和解と統一への時代を告知することにおいて実現されつつあるといえます。

神の本質を明らかにした神主義
 神主義は、神の心情から出発する真の愛の思想です。その観点から、代表的な宗教の本質を見てみますと、キリスト教の愛、イスラームの慈愛、仏教の慈悲、儒教の仁など、いずれも神の心情の現れのその宗教独自の表現であるということが分かります。

 従って、神主義の立脚点である神の本質としての心情に、全ての宗教の本質が帰結するのです。これは何を意味するのかといえば、神の心情、すなわち真の愛を中心として、全ての宗教は一つになることができるということ、言い換えれば、宗教統一の可能性を示唆しています。

 さらに神主義は、神の創造の法則に従って、神の属性が被造世界の属性として相似的に展開されている事実を示し、「心と体(性相と形状)」「男と女(陽性と陰性)」の神の二大性禀(せいひん)を中心として諸宗教を統一し得る可能性があることを提示しています。

 例えば、心と体の統一、精神と物質の調和、言行一致、知行合一、梵我一如(ぼんがいちにょ)などを掲げる宗教は実に多く、また、アダムとエバ、イザナギとイザナミなど男女二柱の始祖より人類や民族の起源を語る宗教の形態が見られます。

 神を見る観点において、男性神、女性神の二神を立て、宇宙の根本原理として男性原理と女性原理を打ち立てるなど、諸宗教の民族的、言語的特徴を超えて、一つの共通した神観が見られるのです。これまた、宗教統一の可能性を示しているといえます。

 神の本質である心情から見て、そして、神の属性である二種類の二性性相から見て、宗教統一の可能性は保障されており、それ故、神主義は宗教統一の時代を宣布するのです。