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神主義と頭翼思想 3
絶対神たる神を知る③

ナビゲーター:稲森一郎

 新しく連載がスタートする同シリーズのオリジナル記事は、1995年10月から1996年10月までの期間、『氏族教会FAX-NEWS』に連載されたものです。
 文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁夫妻が提唱し、推進してこられた「統一運動」と、その運動理念である神主義、頭翼思想。その価値を再認識、再発見する機会としていただくために、稲森一郎氏の執筆による「神主義と頭翼思想~その理論と実践」をBlessed Lifeに再掲します(一部、編集部が加筆修正しました)。ぜひご活用ください。

神はなぜ、創造されたのか
 神に対する理解をもって神主義が始まるとすれば、神の本質は一体、何でしょうか。

 人間をはじめ、宇宙、万物を創られた創造主としての神は、創造する能力、すなわち「創造性」をお持ちであることは明らかです。

 それでは、なぜ神は創造されるのでしょうか。この疑問に対する解答を求めていく時に、神の本質に触れることになるのです。

 古くから神の本質は探求されてきました。その一つとして、神の本質は理法(ロゴス)であるという主張があります。

 ギリシャ哲学、とりわけアリストテレスは神の本質を「思惟(しい)の思惟」、すなわち純粋に理性的な存在として捉えました。

 近世に至って、ヘーゲルもまた、「絶対精神」として神を理解し、その本質を理性中心のロゴス的側面から捉えています。

創造に駆り立てたもの、それは神の心情である
 ここで問題になるのが、神の本質が理性(思惟する能力)、もしくは理法(ロゴス)であるとするならば、なぜ理性は創造するのかという疑問に答えなければ、神の偉大な創造を解明したことになりません。

 理性的創造能力はただちに創造の動機となり得ません。なぜなら、理性が何かを思い浮かべたとしても、それを実体として創造することもできるし、創造しないこともできる状況の中にあるからです。

 それ故、なぜ創造することの方を選択するのか、その決定的な理由を理性、すなわち思惟能力の中に見いだすことは困難なのです。

 神の理性(自由な思惟能力)を動かして、創造に駆り立てるもっと根源的なファクターが神の本質でなければなりません。

 それが神の「心情」です。
 神の心情は対象を表現し、対象に愛を注ぎ、対象と一つになることによって喜びを得ようとする情的衝動です。

 このような心情が神の本質であるため、神は喜びのための対象として実体世界を創造せざるを得ないのです。
 喜びの実現という明確な動機によって、神の創造は初めて説明され得ることになります。

 神は「見て良しとされた」という、聖書に記された創造における神の満足感の表明は、神の創造が喜びの実現にあったことを証明しています。

神の持つペア・コンセプト
 次に神の属性を見てみると、神の形(神相)のごとくに現れたのが被造世界であるという観点から、神の二大属性が明らかになります。

 人間を例に取れば、①心と体 ②男と女、という普遍的なペア・コンセプトが、人間世界そのものを貫いています。
 神ご自身の中にそもそもその二つの属性が根本属性としてあったから、人間もそれに似たということになるわけです。

 人間が神に似ているというのは、神の、①性相と形状(心と体)②陽性と陰性(男と女)のペア・コンセプト(二性性相)が、そのまま人間に相似的に展開されているので、神に似ているということになるのです。

 神における性相と形状、陽性と陰性は調和と統一の関係を形づくっています。
 従って、真の意味で人間が神に似るのは、ただ心と体、男と女が存在すれば、それで神に似ているのであるというのではなく、心と体の統一、男と女の調和が表現されてこそ、神に似ているといえるのです。

 このように、神の本質と属性を理解した立場から、神主義の中心的な立脚点が明らかとなります。

 神主義は、まず神の心情から出発する故に、神と人間と万物の喜びを実現するという目的志向を持っているということ、そしてその喜びの実現の要因は真の愛を中心とする授受一体の関係の確立であるということ、さらに神主義は、神の属性から敷衍(ふえん/おし広げること)される故、人間において神主義的実践条項は、心と体の一体化、男と女の調和の二つが二大項目とならざるを得ないということになります。

 悲しみ多き現実の世界、心と体の分裂・葛藤、男女の愛の乱れと家庭の崩壊、これらの現実は、神主義によって解決されなければなりません。