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神の沈黙と救い 52

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『神の沈黙と救い』より)

終章 神が沈黙を破るとき

神が沈黙を破るとき

 さて、人間の自由と神の自由とが調和するためにまず第一に必要なことは、世界の中心が確立されることである。中心が分裂すれば必ず一つの中心と別の中心とがぶつかり合って対立が生じ、その対立が激しくなると戦争が起こる。戦争が始まってしまえば、自由など口にすることもできなくなる。

 人類の歴史はまさしく戦争の歴史であったから、中心が二つ以上に分かれているのは当然だと思う人が多い。しかし、原点に戻って最初のエデンの園の状況を考えれば、中心が一つであることのほうがむしろ当然である。エバとアダムがルシファーの自己中心的な愛に全く心を傾けることなく成長すれば、神の祝福のもとに二人は結婚し、神はアダムのうちに住まわれるようになる。この二人から生まれた子供、孫……が満ち殖えて、神を中心とする一大家族世界を形成すれば、分裂などは夢想だにすることさえなかったに相違ない。

 エバとアダムがルシファー(サタン)との愛の関係をもって、神との霊的関係が切れてしまったからこそ、子供への愛と教育が欠け、その結果、その長男のカインが次男のアベルを殺害するようになり、そこを起点として戦争の歴史が始まったのである。

 ここで、もう一つの中心ということに次いで必要なのは、親子・兄妹・夫婦・父母の主体・対象の関係であろう。オーケストラでも、指揮者と各演奏者という関係だけでなく、各楽器セクションのチーフと合わせるということが重要である。指揮者との関係を中心性、チーフとの調和を格位性と名づければ、この格位性はそれぞれリーダー(主体)とフォロアー(対象)の関係の確立によって保たれる。

 アダムとエバの成長との関係でいえば、まず初めには、親(神=主体)と子(アダムとエバ=対象)、次いで兄(アダム=主体)と妹(エバ=対象)、夫(アダム=主体)と妻(エバ=対象)、父(アダム=主体)と母(エバ=対象)という順に、これらの関係が愛を中心とすることによって確立される。そうすれば、その子孫の親子・兄弟姉妹・夫婦・父母の秩序的な愛情関係も自然に確立されてくるはずである。

 このエデンの園の原秩序に戻すというのが、神がメシヤ(キリスト)を再臨させる目的なのである。こうして原秩序が完全に回復されれば、神も安心して沈黙を破るようになられるであろう。

 中心性、格位性(主体と対象の位置確立)が定まって、一人一人の独自性(個性)が生かされる。ここで各自はそれぞれ自己中心となることなく、常に相手のために奉仕し合っていくのでなければならない。与えることに専念し、それが巡り巡って自分に返ってくるようになる。イエスは、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのもの(必要なもの)は、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・33)と言われたが、その「神の国」「神の義」ということを要約していえば以上のようになるであろう。

 「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た」(黙示録二一・12)、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」(同二一・34)。

 このような新しい時代が到来する時、神の沈黙は破られるであろう。

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 次回は、「あとがき」をお届けします。