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小さな出会い 5

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

夫婦の距離

 結婚以来、10年後の今日にいたるまで、夫に感謝していることが一つあります。

 私が、じつに険悪な気持ちになって(漫画でいえば、顔のうしろに口裂けのお化けみたいな影が大きくうつっている図)、やりきれない時が、ごく、たまにあります。そんな時、何か夫にチクチク、意地悪なことを言います。あなたはああだこうだと、われながら憎々(にくにく)しい心で。

 すると彼はそれをまっすぐ善意にとるのです。

 「本当にそうだ。うすうすは気づいていたんだが……。わかったよ、ありがとう」

 いつぞやは、心から僕のことを心配してくれるのが力強いなどという意味のことを言われて、私のうしろの口裂け女は、「ギャフン」と参ってふにゃふにゃと消えてしまい、私はつくづく悔い改めたのであります。ははあ、悪霊はこうして救われるのだなあと実感したりしました。悪いことをしたのに、その愛を疑いもせず、心から感謝してくれる人の前には、悪は存在位置がなくなってしまうんです。感動して涙を流して、愛に帰らざるを得ないのです。

 けれど、もし、それに対して口裂け男が出現したらどうなったでしょうか。決定的なことには至らないとしても、夫婦げんかは辛辣(しんらつ)に行われ、深くその傷は残るという羽目に陥ったかもしれません。荒々しくものを言ったり、したりしたことのない夫の態度を、私はほんとうにありがたいと思っています。

 「距離のないのが夫婦である」という言葉があります。つまり、一体化しているか、無限に離れているかのどちらかだという意味です。仲よく暮らしていても距離があって、とんでもないときに飛び散ってしまうとしたら悲劇ですね。

 私が14歳の秋、郷里の伊豆に大きな台風がやってきて、たくさんの人が一晩で死にました。その時は、親子、夫婦が死に別れ、おたがいに捜し求める悲惨な話が多くありました。そんな中に、これは笑ったらいいのか、同情したらいいのかわからない話がありました。中年を過ぎたある夫婦の話です。

 おしよせた濁流と流木で、家はめりめりと壊(こわ)れ、あっという間に二人は放りだされたそうです。水をのみながらもがき、流されているうちに、少し渦巻きがない所に出たそうです。そこに板きれが流れてきました。二人はそれにつかまろうとして争ったのです。二人つかまれば沈むし、もう力も尽き果てそうでした。

 「ああっ、沈むよ、早くその手を離しなん!」

 「ばか! お前にやったら俺が死ぬじゃ!」

 まあ結局、二人は救助隊員に助けられました。その瞬間に、二人は一言も口をきかず背をむけて、右と左に別れていったとか。かくて離婚率にこの夫婦も貢献したのです。

 衣食住の生活を共にするなかで培(つちか)われる何か……。きっとそれが大切なものです。そしてその心が、生活をなめらかに回すのです。ときどき心をのぞき、無形な世界をみつめて反省してみなくては、宇宙空間ほど遠ざかった夫婦ができるかもしれません。10年目の日々、深い心の宝をつくりだしていきたいと思います。

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 次回は、「子供番組のこと」をお届けします。