2023.10.23 12:00
小さな出会い 4
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)
天野照枝・著
からすなぜ鳴くの
ランドセルをしょって、私の前を歩いていた子が、大きな声で歌い出しました。
「かーらーすー、なぜなくのォ」
ほほえましい思いで聞いていると、
「からすの勝手でしょーっ!」
と、ひときわ声をはりあげたので驚きました。新聞の四コマ漫画などで読んだことはありましたが、子供の口から実際に聞くと、妙にどきりとさせられる歌でした。
数日後、坊やを昼寝させようとしていると、隣の銀行の寮の広い庭で、遊びながらこれを歌っている何人かの声がきこえました。相当流行しているんですね。よく聞いていると、歌は「からすの勝手でしょ」から先には進まないのです。幾度もその二行をくりかえすだけです。それはそうです。鳴くのがからすの勝手なら、そこで関心の糸は切れちゃって、山の古巣で待っている丸い目をした子のことなど、思い浮かぶはずもありません。
「母さん、からすはなぜ鳴くの?」
「よく聞いてごらん、ほら、『かわいかわい』って鳴いているでしょう。からすは山の巣の中にいる、坊やみたいなまあるい目をした、七つの子のことをいつも考えているのよ」
大学時代、教材研究で、野口雨情のこの詩の、珠玉のような美しさに皆で感動したことがあります。ある人はレポートに、“私が母親になったら、子供に、こんな夢のある答え方をしたいと思います。”と書いて教授を喜ばせました。
初めて赴任した小学校は山の中で、3年生の担任になりました。何もかも初めてで、試行錯誤、五里霧中。今でも胸が痛むのは、国語の時間に『わたしのうち』という題で作文を書かせたときのできごとです。
机間巡回していると、ちっとも書かない男の子が目につきました。そのうちに隣の子を泣かせたりします。数回はやさしく注意したのですが、最後は声をあらだてて、
「そんな子は教室の外に出ていなさい!」
と出そうとすると、机にしがみついて、悲しそうに泣き出しました。髪をひっぱられた子が、
「透ちゃん、お父さんもお母さんもいないの」
と、泣かされても同情している口調で言うのです。その瞬間の、針をさしたような私の胸の痛み! 叔父の家にひきとられていて、姓が同じだったので気づかなかったのです。この子にとって、何と残酷な時間だったことでしょう。
それからしばらくして、仲良しになった透が目を輝かせて報告にきました。
「先生、まいごのからすの子をつかまえた。飼ってもいいら? うんと世話するから」
そして、音楽の時間に、「七つの子」の歌の意味を話してあげた時、透の汚れたほっぺを、次から次にころがりおちた涙の雫……。それからからすの鳴き声をきくと、空を仰ぎながら、
「母ちゃんも言ったよ、オラがかわいって」
などと言って、新米先生を泣かせた透。
なつかしい、ちっちゃい透を思い出しながら、胸を熱くして、私は、幾度もくりかえされる、
「からすの勝手でしょーっ」を聞いていました。
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次回は、「夫婦の距離」をお届けします。