2023.10.24 05:00
スマホで立ち読み Vol.28
『拉致監禁』30
世界平和統一家庭連合 総務局/編
スマホで立ち読み第28弾、『拉致監禁』を毎日朝5時にお届けします。
本書は現在の報道の背景を理解するとともに、拉致監禁の再発を防ぐために作成された一冊です。ぜひお読みください。
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第二章 痛哭と絶望を超えて
残された心の傷④
京都聖徒教会での軟禁生活
マンションを出てから、私は、牧師が「リハビリ」と称している生活をするために、京都聖徒教会へ行くことになりました。そこでの生活は、監視される軟禁状態でした。
船田牧師の言い分によると、「脱会すると、今まで真実だと思っていたものが完全に否定され、絶望感に陥っており、それが深い心の傷となる。だから、統一原理の間違いをしっかり理解していなければ、普通の生活ができなくなる。社会復帰もできない。そのために正しい真理、聖書の教えを学ばなければならない」と述べ、京都聖徒教会に泊まり込んでの「リハビリ生活」をしなければならないということでした。
船田牧師は、「信仰は自由だから強制はしない」と語る反面、「(キリスト教を)信仰していったらいい」と言ってきました。強制改宗をしている牧師が、こんな矛盾したことを言っていることに対し、私は「ここに真理はない。本当に自分が探しているものはない」と感じました。
マンションを出るとき、家族は本当に疲れ切った状態でした。それでも父は、母と私がマンションを出る3日前にそこを出て、仕事に行き始めました。
京都聖徒教会での軟禁生活は、私以外にリハビリ中の人が5人、元信者で「保護説得」と称して監禁場所に赴き脱会説得をして、献身的に活動している人が3人、そしてクリスチャンの奉仕者の女性が1人いました。それ以外に、船田牧師の家族も暮らしていました。
牧師の家庭以外は、みんなで一緒になって寝泊まりしました。食事も、食材を自分たちで買いにいき、作って食べるのです。この時は外に出ることが許されましたが、私には母が付き添い、元信者の人も一緒で、逃げることもままならない状況でした。
リハビリ生活の1日目は、母と妹も一緒に寝泊まりしました。しかし、妹は「こんな団体生活は、自分にはできない」と言って、翌日帰り、結局、私と母だけが残りました。
そこでの生活は、朝6時から早天祈祷会(聖書の学び)があり、その後は、その日によってさまざまですが、祈祷会、聖書の勉強会、伝道集会、賛美集会、家庭集会などがあります。日曜日には礼拝と、午後1時からの家庭連合問題の相談会、月半ばからは、家庭連合問題の対策集会に出かけました。
参加に関して、強制はされませんが、基本的には「参加するようにしてください」と言われました。
母は、私がトイレに行くときも、洗面に行くときも、ずっと付き添ってきました。しかし、母には「娘を信じたい」という思いがあり、そのような監視生活をすることが苦痛だった様子でした。
寝るときは、ドアの近くに元信者の人たちが寝て、私には「逃げるのではないか?」という警戒心からか、ドアから一番遠い所で寝るように言いました。
ある時、母が泣いているのを見つけました。私が「どうしたの?」と聞くと、「もう少し子供さんのことを考えて行動してください」と教会の人から言われたとのことで、母は母なりに懸命に努力しているのに、そのように言われたことが、とてもつらかった様子でした。
リハビリ生活に入ってから1週間後、私は「脱会届」を書くように言われました。脱会届を書くときは、既に船田牧師の元で脱会した人たちが書いた「脱会届」のコピーを見せられ、「このように書いたら良い」という指導を受けました。その時の私は、牧師たちの信頼を得ることによってしか外に出ることができない状況でした。
「脱会届」を書いた後、私は母に「パーマをかけに行きたい」と言って、一緒に外を歩きました。母と一緒でないと外に出ることは許されませんでしたが、外を歩くことができたときに、「忍耐すれば必ず道は開かれる」と思え、まるで冬を越えて春を迎えてゆくかのような、希望を感じることができました。
私がリハビリの生活をしているときに、主人が友人と共に、京都聖徒教会を訪ねてきてくれたことを、後から聞いて知りました。
そのとき主人は、「Tさんは、今は会いたくないと言っています」と言われ、追い返されたそうです。主人は、東京からわざわざ私を捜して訪ねてきてくれたのですが、私に会うこともできず、追い返されたのです。そして私は、彼が訪ねてきたことすらも全く知らされませんでした。
リハビリ生活が始まってから20日が過ぎた頃、母が少しずつ体調を崩し始めました。その様子を見た京都聖徒教会の人が、「Tさんもしっかりしてきたので大丈夫でしょう」と言ったので、母は自宅へ帰っていきました。
母が一緒にいる期間は、お風呂は船田牧師の家のお風呂に入り、洗濯は、母が外のコインランドリーでしてくるような状況でした。しかし、母が家に帰ってからは、状況が変わりました。私が一人で外出することは許可されませんでしたが、誰かと一緒ならば、銭湯やコインランドリーに出かけられるようになったのです。
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次回は、「苦悩…、そして脱出」をお届けします。
★「我々の視点」脱会説得による悲劇②
★「拉致監禁」問題を考える特別シンポジウム(2023年9月10日)ダイジェスト映像