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スマホで立ち読み Vol.28
『拉致監禁』23

世界平和統一家庭連合 総務局/編

(光言社・『拉致監禁: 家庭連合(旧統一教会)に反対する人々』〈Kindle版〉より)

 スマホで立ち読み第28弾、『拉致監禁』を毎日朝5時にお届けします。
 本書は現在の報道の背景を理解するとともに、拉致監禁の再発を防ぐために作成された一冊です。ぜひお読みください。

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第一章 家庭連合に反対する人々

家庭連合に反対する人々に関するQ&A

Q20
 棄教目的で親族が行っている拉致監禁事件を、今なお取り締まろうとしない日本は、「信教の自由」が確立されていない国家であると言えますが、欧米諸国において、「信教の自由」が確立していった歴史的背景について教えてください。

A
 「信教の自由」が人類史上、初めて成文化されたのが1791113日、アメリカで制定された「憲法修正第一条」でした。この憲法修正第一条は、信教の自由を語る上で絶対に欠かせないものです。

 「憲法修正第一条」は、国家と教会の分離を規定しており、それを簡潔に言えば、少数派の権利を守るために、①国家は特定の宗教を公認してはならない(注:もし特定の宗教だけを公認すれば、非公認の宗教は弾圧の対象となり得る)、②国家は、宗教上の礼拝、言論や出版の自由などを禁じたり、人民が平穏に集会する権利を侵害したりする法律を定めてはならない、とするものです。

 この「憲法修正第一条」が制定されるようになった背景には、思想・言論・結社などの自由をめぐって、カトリック教会、イギリス国教会、プロテスタント教会が互いに排斥、弾圧し合い、場合によっては、親族間で信仰問題をめぐって争い合うという悲劇が起こったからでした。そのような歴史的悲劇を、二度と繰り返してはならないという深い反省がその動機にあるのです。

 例えば、ピューリタン(清教徒)が胎動し始めた1617世紀のイギリスでは、「首長令」を出したヘンリー8世以降、王位継承権争いに信仰問題が関わり、王室内で王族らを中心に、カトリックか、プロテスタントか、あるいは中道(国教会)か、をめぐって各陣営が火花を散らす争いをしました。特にメアリ1世(155358在位)の治下で起こった、プロテスタント指導者らに対する「スミスフィールドの虐殺」は、凄惨(せいさん)な事件でした。

 また、ヨーロッパ大陸に目を向けると、ドイツでは、カトリックとプロテスタントによる「三十年戦争」で多数の国民が犠牲となり、人口は約1600万から600万人にまで減少しました(ウィリストン・ウォーカー著『キリスト教史③ 宗教改革』ヨルダン社、202ページ)。フランスでは、ユグノー(カルヴァン主義者)を弾圧する「ユグノー戦争」で国土が荒廃、特に15728月の「聖バルトロマイ祭日の虐殺」では、約1万人が虐殺されたと言われます。

 正統異端論争に伴った宗教弾圧によって行き場を失った人々は、信教の自由を求め、スイスやオランダ、イギリスなどに亡命しました。しかし、その地も、彼らにとって安住の地ではありませんでした。やがて、それらの人々の中から新大陸アメリカへ移住し始めるグループが現れるのです。

 その代表者が、メイフラワー号に乗ったピルグリムファーザーズたちです。それ以外にも、続々とヨーロッパ各地から、信教の自由を求めてアメリカに渡った集団がありました。彼らは多種多様で、カトリックから弾圧されたプロテスタント以外に、逆にプロテスタントから弾圧されたカトリック教徒も含まれます。さらにはメソジスト派、バプテスト派、クェーカー派、メノー派、そしてユダヤ教徒など、さまざまな宗派の人が移住し、アメリカは宗教のるつぼと化していきました。

 ところが、信教の自由を求めてアメリカに移住した彼らであったにもかかわらず、そのアメリカの地で、またもや悲しむべき事件が起こりました。それが17世紀の「セイラムの魔女狩り」です。最も激しかった1692年には、わずか3カ月間で20名の人間と2匹の犬が、魔女として処刑されたのです(曽根暁彦著『アメリカ教会史』日本基督教団出版局、69ページ)。

 真の愛によってお互いが信頼し、尊重し合えれば良いのですが、教理面だけを先立たせてしまえば、やがて醜い宗教間の争いとなって、異端審問、魔女狩りとなってしまうのです。それゆえ、たとえ親族間であったとしても、思想、信教の違いによって争い合うことがないよう、少数派の権利を守るために定められたのが「憲法修正第一条」であったというわけです。

 イエスが、「今から後は、一家の内で五人が相分(あいわか)れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」(ルカによる福音書125253節)と語られているように、キリスト教信仰においては、その可否をめぐって親族間でさえも争いや対立が起こり得るものです。

 私たちは、過去の歴史を学んで、同じような悲劇が二度と繰り返されることがないように、たとえ親族間であっても、棄教目的で拉致監禁するのは許されざる行為である点を明確にし、一刻も早く善処すべきであると言えます。

 牧師らの教唆により親族が拉致監禁を行うなど、特に欧米諸国は、日本があまりにも野蛮な国であると認識することでしょう。

 4300件を超える拉致監禁事件の被害者がいるにもかかわらず、いまだに見て見ぬふりをする日本国家は、国際社会のリーダー国の一員としての資質を、大きな疑念を持って見られていくに違いありません。

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 次回は、「痛哭と絶望を超えて」をお届けします。



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