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コラム・週刊Blessed Life 284
尊敬する塙保己一さまに感謝をささげます!

新海 一朗

 日本歴史上、偉大な人物はたくさん出ていますが、私が忘れることのできない人物がいます。
 その人物とは、「塙保己一(はなわ・ほきいち)」(17461821)です。
 彼は江戸時代後期の人で、埼玉県本庄市の出身ですが、全盲の学者としてその名を残します。

 何がすごいかと言えば、全盲でありながら、国学者として日本文化の大文献集『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』を完成させました。
 それは、実に66617,244枚にも及ぶ版木(はんぎ)であり、41年間を費やして桜の板に一文字一文字彫り上げたものです。

塙保己一(ウィキペディアより)

 保己一の『群書類従』が編集されなければ、日本文化の内容を歴史的に理解することは、おそらくできなかったでしょう。
 保己一の存在がなければ、日本古来の文化・芸術を書き記したものや、秘伝として特定の人だけに封印されていたものが日の目を見ずに散乱消失していた可能性が極めて高かったのです。
 彼は歴史資料のあらゆるものをでき得る限り全国から収集し、それらを編集して後世に残しました。

 保己一の記憶力は驚くべきもので、大人が読んでくれた本の内容を記憶し忘れることがなかったといいます。
 彼は7歳の時、病気が原因で失明します。12歳の時には愛する母を亡くします。途方に暮れ、生きる未来が見えなくなった時、江戸に「太平記読み」と呼ばれる物語を語ることによって生計を立てている人たちがいるという話を耳にします。

 15歳で江戸に出た保己一は、盲人一座に入門しましたが、そこでの按摩(あんま)などの修業生活に絶望し、自殺未遂まで起こします。
 師匠の雨富検校は、保己一が学問好きであったのを見て、その道を歩ませます。

 水を得た魚のように保己一は34歳の時、「学問をする人が必要な書物を読めるよう、先祖からの日本文化をしっかり次世代に伝える、これが自分の使命だ」と思い立ち、ついに文化史上かつてない大文献集『群書類従』を編集・出版することを生涯の仕事として決意しました。

 保己一が『群書類従』をまとめるまで、貴重な書物が大名や公家など、一部の人のもとにあり、人々の目に触れることはありませんでした。
 当時の書物は書写で伝えられたものであったため、本により内容が違っていたり、一部が欠けていたりすることがありました。
 保己一はこれらを丁寧に補正し、まとめます。全国に散らばっていた多くの古い記録や資料を集めて分類・整理を41年間にわたり行いました。

 このようにしてまとめた『群書類従』を多くの人が手にできるよう、依頼を受けた職人たちが版木に彫り、印刷できるようにしたのです。この版木は現在も使われており、保己一がまとめた当時と同じ『群書類従』を手にすることができます。

 保己一は、自分の不足や弱さ(全盲)をあるがままに認め、それを嘆くどころかそれに感謝すらしました。「盲目は不自由なれど、不幸にあらず」という気持ちが、保己一の心の姿でした。

 塙保己一は自分が生かされていることに感謝し、周りの環境に不平・不満・不安を決して言いませんでした。不自由を感謝する中にいつも幸福が訪れました。誰もできない偉業を果たし、日本文化の歴史的資料の数々を後世に残してくれました。

 私は、塙保己一という人物を思うたびに、感動を覚え、己にむち打つ日々です。