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スマホで立ち読み Vol.28
『拉致監禁』14

世界平和統一家庭連合 総務局/編

(光言社・『拉致監禁: 家庭連合(旧統一教会)に反対する人々』〈Kindle版〉より)

 スマホで立ち読み第28弾、『拉致監禁』を毎日朝5時にお届けします。
 本書は現在の報道の背景を理解するとともに、拉致監禁の再発を防ぐために作成された一冊です。ぜひお読みください。

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第一章 家庭連合に反対する人々

家庭連合に反対する人々に関するQ&A

Q11
 長く厳しかった日本でのキリシタン迫害が終わったのは、どのような経緯からでしょうか?

A
 残念ながら、日本政府自らが「信教の自由」に目覚めることでキリシタン迫害が終わったのではありません。きっかけは「浦上四番崩れ」に対する諸外国からの非難、外圧によるものです。

 キリシタン迫害において、幕末から明治初期にかけて「浦上四番崩れ」と呼ばれる大迫害が起こりました。

 徳川幕府が鎖国を解いた7年後の1865年、長崎に大浦天主堂が建ちましたが、そのとき、長く潜伏してきた多くのキリシタンたちが名乗りを上げました。これは世界宗教史の奇跡とさえ言われました。しかし、その2年後の18677月、幕府の捕り手が浦上に乗り込み、キリシタンを拉致したのです。

 信者は拷問に屈して一度は棄教を表明しますが、すぐに信仰を持ち直しました。そこで翌687月、再度、信者は役所に呼び出され、次々に捕縛され、住み慣れた家から福山、津和野をはじめ、鹿児島、広島、岡山、姫路、松江、鳥取、徳島、高松、松山、高知、和歌山、名古屋、金沢、富山などの別の場所に移され、そこで棄教を強要されたのです。彼らキリシタンは犬の扱いを受けて1匹、2匹と数えられ、見知らぬ土地で監禁されて、棄教を迫られたのです。

 こうして、キリシタン迫害がなされている最中である187111月、岩倉具視(ともみ)を特命全権大使とする岩倉使節団が横浜港を発(た)ち、110か月にわたって、条約改正問題の交渉のため、アメリカを経て欧州諸国を訪問しました。ところがその際、キリシタンを迫害し、信教の自由を認めない野蛮な国とは条約を結べないとの激しい非難を受けたのです。

 この岩倉使節団の経緯を、永井隆氏は著書『乙女峠』(中央出版社)で、次のように述べています。

 「どこの国に行っても、日本政府が人民に信仰の自由を与えていないのは野蛮国だ、という非難の世論がごうごうと岩倉大使一行を攻撃し、ことにべルギーのブリュッセルでは、一行の乗った馬車が市中を通るとき、市民がおしよせてきて口々に非難し、人民に信仰の自由をゆるし、流されている浦上のキリシタンを牢(ろう)から出せ、と叫んでやみません。

 ……ついに使節から東京に電報が打たれました。『吾人(ごじん)は行く所として、切支丹(キリシタン)追放者と信教自由とのために外国人民の強訴(ごうそ)に接する、この際、前者はすみやかにこれを解放し、後者については幾分の自由寛大の意向を表明しなくては、とうてい外国臣民の友誼(ゆうぎ)的譲与を期待することはできない。』

 この電報は政府を驚かしました。……小さいと思った宗教問題が、平等条約を結ぶのにいちばん大きいじゃまになっていたのをはじめて知ったのでした」(7273ページ)

 このような諸外国からの非難と外圧を受けた日本政府は、ついに1873221日、切支丹禁令の高札を取り去り、314日に、各地に流されていた浦上の信者を故郷に帰したのです。こうして信教の自由を与えた日本は、やっと野蛮国の汚名を返上し、諸外国と平等な条約を結ぶことができたのです。

 現在、拉致監禁事件を見て見ぬ振りをする日本国家は、世界の真のリーダー国となるために、このような過去の歴史的経緯から、多くのものを学ぶ必要があると言えます。

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 次回は、「反対派が流すデタラメな情報」をお届けします。



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