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宣教師ザビエルの夢 7

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第一章 日本人とユダヤ・キリスト教

二、切支丹大名の夢

見果てぬ夢
 思えば、キリスト王国建設の夢破れ、半生を流浪の地に身をやつしていった果ての、異国での悲しい最期でした。それはまた、日本におけるキリスト教の繁栄と凋落(ちょうらく)をそのまま生きてしまった人生であったのかもしれません。この義人の死は、私の心に重くのしかかってきます。

 信長・秀吉に愛され、家康からも一目置かれていたこの人物の果たすべき役割は、一体何だったのでしょうか。ふと、そんな疑問が私の脳裏をよぎります。

 「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである」(『新約聖書』マタイ福音書624

 領地を捨てて信仰に生きた右近の行為を、イエス・キリストのこの言葉に当ててみれば、潔き信仰の模範ととらえられます。聖なるものと俗なるものが、どこまでも対立したものだと考える限り、これ以外の回答は見いだせないかもしれません。

 しかし、あえて違った角度で見つめてみると、多くの大名たちがその領民をまるごと教化することもできた時代でした。切支丹(キリシタン)大名たちが一丸となり、秀吉を支え、宗教的理想を掲げての天下統一とでもいうべきヴィジョンを示すことができたとしたら、もしや……と思うのです。資質においても人格的に最高の見識をもち、権力者の圧力に対して良心の声を優先し得た右近が、この国全体の教化にその生涯を全うできなかったことに、悔しさと悲しさを覚えるのです。ザビエルも、当初はまず国王に会って布教の許可を取り、いちはやく全国民の教化に当たりたいと考えていたではありませんか。

 右近の姿を懐かしむべく高槻の町を歩けば、城跡公園の傍らに「セミナリオ跡」と記された記念碑がひっそりと建っています。

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 次回は、「最初の留学生」をお届けします。


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