2023.09.17 13:00
神の沈黙と救い 44
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。(一部、編集部が加筆・修正)
野村 健二・著
第五章 イエスに対する神の沈黙
五 背信者ユダ
神の操り人形?
『沈黙』には、ロドリゴが百姓の穴吊りに立ち会わせられる最後の場面で、自分を役人に売ったキチジローがこの拷問の場まで告解(罪を許す秘蹟〈ひせき〉)を受けに来たこととの関連で次のように書かれている。
司祭は基督がユダに言ったあの軽侮の言葉(「行きて汝のなすことをなせ」という言葉)をまた噛みしめた。
だが、この言葉こそ昔から聖書を読むたびに彼の心に納得できぬものとしてひっかかっていた。この言葉だけではなくあの人の人生におけるユダの役割というものが、彼には本当のところよくわからなかった。なぜあの人は自分を裏切る男を弟子のうちに加えられていたのだろう。ユダの本意を知り尽くしていて、どうして長い間知らぬ顔をされていたのか。まるでそれではユダはあの人の十字架のための操り人形のようなものではないか。
それに……それに、もしあの人が愛そのものならば、何故、ユダを最後は突き放されたのだろう。ユダが血の畠で首をくくり、永遠に闇に沈んでいくままに棄てておかれたのか。
この疑問は、ヨハネによる福音書にある次のような場面を踏まえたものである。
「イエスが……おごそかに言われた、『よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている』。(中略)『主よ、だれのことですか』と尋ねると、イエスは答えられた、『わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである』。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、『しようとしていることを、今すぐするがよい』……ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった」(一三・21〜30)。
この記述は確かにおかしい。
すなわち、イエスがユダに一切れの食物を与える。その食物を受けるやいなやサタンがユダに入る。イエスは「しようとしていることを今すぐやれ」と言われる。するとユダはその一切れの食物を持ってすぐに出て行った。……どうであろうか? これではなるほどユダは操り人形。それどころか、パソコンにパシパシ命令を打ち込んで画面を見ているような感じですらある。そこには何とサタンまで動員されている。この記述は果たして事実なのだろうか。
このことを判断するためには、新約聖書の大部分(ヨハネの黙示録を除いて)が、次のような三つの強い思い込みによって書かれているということについての理解が必要であろう。
①イエスは全人類の罪の償いのために十字架に架かるように、初めから神によって予定されていた。
②神は全知全能であられ、したがって、神の筋書きのとおりに、すべての人間、さらにはサタンまで操って事を運ぶことができる。
③この神の全知全能性は、神がこのイエスの時に何が起こるかをすべて旧約聖書の中で預言されており、その預言のとおりに事を運ばれたということで証明される。
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次回は、「つくられた十字架必然説」をお届けします。