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愛の知恵袋 178
友ありてこそ

(APTF『真の家庭』299号[20239月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

大切な友が逝ってしまった

 2023年7月30日夕刻、真夏の太陽が少し和らいだ頃、私の親友・T君は他界した。

 5年前に発病し入退院を繰り返していたが、家族と友人たちの祈りもむなしく、遂に、天国へと旅立ってしまった。享年73だった。

 ご家族と一緒に通夜式、告別式、野辺送りまで終えて、一夜が明けて、やっと落ち着いた今、彼との交流の日々を思い出しながら筆を執っている。

 彼は大分市で生まれ、工業高校を出たあと社会人となったが、納得のいく道を見いだせなかったのか、再度、進学を決意して2年間予備校へ通い、23歳で東京の大学に入学した。そして在学中に一生をかけて取り組みたいと思う目標を見つけ、その分野の仕事に就いて働いたのち、43歳で大分市にUターンして郷里の両親の最期を看取った。

 私が彼と知り合ったのは30年前である。そして、20年前から特に深い付き合いをするようになり、お互いがなくてはならない親友になった。仕事のことでもプライベートでも、何でも本音で話し合える数少ない友人だった。

私が妻の他界で受けた衝撃

 特に10年前、私の妻が他界してからは、私にとって特別な存在になってくれた。

 私は2004年に母が84歳で他界、その3年後に父が94歳で他界した。そして、その6年後の201312月に最愛の妻を見送ることになった。彼女は64歳だった。

 母の時も父の時も言いようのない寂しさに襲われたが、妻を失った時の痛みと悲しみは、それとは比べることができないほどに大きかった。

 妻の葬儀が終わって、「さあ、また気を取り直して生きて行こう!」と自分を鼓舞して仕事を始めたものの、半分魂が抜けたような状態であった。

 自分では平静に戻ったつもりだが、次の冬の年賀状はどうしても書けなかった…。そんな自分を見て、「ああ、心がまだ癒えていないのだな…」と思い知らされた。

 私の場合、内的にも外的にも完全に本来のペースに戻るのに3年かかった。

 まず、妻の遺品整理などもしつつ、精神的に立ち直るのに1年かかった。次に、事務所と自宅を一本化するための大整理に1年を要したが、ちょうどその当時リサイクル業をしていたT君が何度も力仕事を手伝ってくれた。

 3年目は、今まで妻がやってくれた家事と庶務全般を自分でこなしつつ以前通りに仕事ができるようにする、その生活ペースづくりのために1年を費やした。

 そうして、4年目の正月を迎えて、「さあ、これからどう生きていくべきか」と考えて、新しい仕事にも挑戦することにしたのだ。

持つべきものは「良き友」だ

 妻を失って一人暮らしになってみると、毎日、自分で作って自分一人で黙々と食事するということの寂しさと虚しさが身に染みた。

 更に、何よりも一番困ったことは、今まで何でも妻と話しながら生きてきたのに、大事な事も「相談する相手が目の前にいない」という現実であった。

 私の娘は心根が優しくいつも気遣ってくれたが、既に嫁いで遠くに住んでいた。

 そんな時期、私の気持ちを察し、いつも話し相手になってくれたのがT君だった。

 彼と私は、互いに尊敬し合う仲で、何でも本音で率直に話し合うことができた。最初の頃は、毎週1回、その後も月2回くらい会って、食事をしては心ゆくまで話し合った。

 そして5年前、彼が発病してからは、今度は私が彼の支えになってあげる番だった。私が「そろそろ会いたいな」と思って「明日はどう?」と電話すると、彼も待っていたかのように「いいですよ!」と返事が返ってきた。

 新型コロナの時代になってからでも最低月1回は会うことにしていた。

 彼は特に裕福でも暇でもないのに、200世帯もある地元の自治会の会長や副会長を6年間も務めるほど責任感の強い男だった。小柄だが中学生の頃ボクシングをやっていたというだけあって、私より体が丈夫でガッツもあった。そんな彼が「こんなに苦しいのなら早く逝きたいよ」とこぼすほど、最後の1か月間の闘病は壮絶だった。

 入院するとコロナ予防のための面会制限で対面できないのがもどかしかったが、亡くなる2日前、奇跡的に面会できて、苦しい息の中でも2時間も話し合えた。これは私にとっても彼にとっても本当にうれしいことだった。

 帰り際に、私が彼の手を握って、「今まで本当にありがとう! あんたがいなくなると話し相手がなくなって寂しいよ」と言うと、彼は「また、誰か見つけて下さい」と言って目で笑ってみせた。

 この世で家族ほど大切なものはない。そして、それと同じくらい大切なものがあるとすれば、それは、心から信じ合い助け合うことのできる“親友”だ。

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