2023.09.10 17:00
日本人のこころ 78
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
ジャーナリスト 高嶋 久
雨にも負けず
「雨にも負けず」の詩で知られる童話作家の宮沢賢治は明治29年(1896)、岩手県花巻市の生まれ。実家は浄土真宗で、家族が唱える「正信偈(しょうしんげ)」や「白骨の御文章」を暗唱し、真宗の信仰をもつようになります。ところが、盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)時代に『漢和対照妙法蓮華経』を読んで感動して法華宗に傾倒し、上京して日蓮主義を唱える田中智学が創設した法華宗系の在家仏教団体「国柱会」に入り、実践活動をするようになります。宮沢家とは宗派違いのため父親と対立を深めました。
37歳での没後に発見された「雨にも負けず」の「東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い」のような人助けや、「みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういう者に 私はなりたい」という願いは、賢治が『法華経』の常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)を目指していたからとされます。誰にでも「私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」というのが口癖の菩薩(仏になるため修行している人)です。
遺作になった『銀河鉄道の夜』は孤独な少年ジョバンニが友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、キリスト教的な救済についても触れていますが、法華経に基づく人類的な宗教的寛容の表現というのが正しいでしょう。
盛岡高等農林学校の寮で同室となった親友の保阪嘉内(かない)は、『銀河鉄道の夜』を読んで、岩手山で銀河を見ながら中央線について話したことを思い出し、これは法華経列車のことだと思ったそうです(江宮隆之著『二人の銀河鉄道』河出書房新社)。ジョバンニとカムパネルラはまさに賢治と嘉内で、二人は「一緒に歩こう」と話し合っていたからです。熱心な法華経信徒となっていた賢治は、むしろキリスト教に引かれている嘉内を熱心に「折伏」していたそうです。
教養として宗教を見ていた嘉内は、「法華経列車から降りて」しまうのですが、故郷の山梨に帰って地道に農村改善に取り組み、彼の影響で賢治も肥料設計事務所を開いて無料で肥料設計の相談に応じたりするようになります。
賢治の思想を語る言葉として「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」がよく知られています。これはキリスト教にも法華経にも通じるものですが、両者の思想構造はとてもよく似ているのです。
大乗仏教の代表的な経典である法華経は、誰もが平等に成仏できるという思想が説かれており、聖徳太子の時代に伝来しました。おそらく聖徳太子は、法華経の平等思想に一番注目し、平等意識の強い日本人に合っていると思ったのでしょう。以後、仏教経典の中心として学ばれ、比叡山延暦寺を開いた天台宗の最澄により、完成形が導入されました。
法華経の中心テーマは、釈迦は今生において初めて悟ったのではなく、永遠の過去に既に成仏していたとする「久遠実成(くおんじつじょう)」の考えにあります。これは、天地創造の神が受肉し、イエスとして降誕したというキリスト教の考えと似ており、それゆえ両者は同じような思想展開をするようになったのでしょう。
「ほんとうにみんなのさいわい」
『銀河鉄道の夜』のあらすじを見てみましょう。
家が貧しいジョバンニは、アルバイトに追われて学校の勉強に集中することができません。同級生が銀河のお祭りを楽しんでいる時にも、ひとりだけ活版所で黙々と働いています。ようやく仕事が終わり、みんなの後を追いかけたジョバンニは不思議な体験をします。
一人寂しく孤独を噛み締め、星空へ思いを馳せていたジョバンニの耳に突然、「銀河ステーション」というアナウンスが響き、目の前が強い光に包まれ、気がつくと銀河鉄道に乗っていて、見るとカムパネルラもいたのです。
天上と言われるサウザンクロス(南十字)で大半の乗客たちは降り、ジョバンニとカムパネルラが残されます。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わしますが、カムパネルラは、「あすこにいるのぼくのお母さんだよ」と言い残し、いつの間にかいなくなってしまうのです。
一人丘の上で目覚め、町に向かったジョバンニは、同級生から、「カムパネルラは川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になった」と聞かされます。究極の自己犠牲を親友が実践したのです。カムパネルラの父は既にあきらめていて、胸が一杯になったジョバンニは母の元に帰ります。
銀河鉄道は死後の旅路のようにも思われますが、ジョバンニが「ほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない」「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」と言うと、カムパネルラが「僕わからない」とぼんやり答えたり、どう生きればいいかを探求する物語になっています。
人には自己承認欲求があり、誰でも認められたい、褒められたいと思います。しかし、自分のしたことがいつもそうなるかは分からず、時には誤解されることもあるでしょう。では、どんな生き方、心構えをすればいいのか。そこに、有限な自分を超えた無限の絶対者への信仰、祈りがあるのではないでしょうか。賢治がいつまでも読み継がれているのは、そうした祈りと信仰によるものと思われます。