https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4163

統一原理補講 7
モーセを中心とする復帰摂理③

ナビゲーター:佐野邦雄

 「統一原理補講」は、1993年7月から1994年8月にかけて、あの伝説のメディア『氏族教会FAX-NEWS』に掲載されたシリーズです
 執筆者は、これまた著名な原理講師、佐野邦雄氏です。30年の時を超えてよみがえる原理学習ページ。統一原理学習の補助教材としてご活用ください。(一部修正加筆し、小見出しを付け、読みやすく改訂しました)

(2)第2次民族的カナン復帰路程

失敗を通じて教えられる歴史的教訓
 第2次民族的カナン復帰路程において、第1次路程の失敗を蕩減復帰するためにモーセとイスラエル民族は、第1次路程よりもはるかに大きな蕩減条件を立てなければなりませんでした。

・パロ宮中の40年間を再蕩減するためのミデヤン荒野40年生活。

・長子の立場を復帰し、「出発のための摂理」をするために三大奇跡と十災禍を起こしてエジプト全体を打ち、長子を皆殺しにした。

・第1次のカナン復帰期間21日間に対し、紅海を渡り荒野を迂回(うかい)する21カ月路程を選び、結果的には40年の流浪生活となった。

・内的にもイスラエル民族の度重なる不信仰の故に神は数多くの奇跡を起こされ、最後は幕屋(三大恩賜と十戒)まで下さり、幕屋を中心として「実体基台」を復帰しなければならなかった。

 これらの内容は、第1次の摂理が失敗した時にはどれほど大きな蕩減を払い、大きな犠牲を伴わなければならないかを歴史的教訓として教えています。

組織的基台の重要性
 第2次路程の中で神は、モーセが「信仰基台」を復帰するためにミデヤン荒野生活で祭司エテロの指導の下に、羊飼いをしながら荒野路程におけるさまざまな訓練をしました。また、妻子を与えて家庭基台の重要性を教え、奇跡を起こす権能を通して神への絶対的信仰を確立させようと導いたのです。

 実際、荒野路程全体を通してモーセは、イスラエル民族の不信仰や不満の叫び声を背負いつつ、神に祈り頼みつつ前進しました。従って「信仰基台」に関しては、蕩減復帰することができたといえましょう。

 一方、「実体基台」の復帰に関しては、一人のリーダーが数多くの民を率いていくためには、組織的基台が不可欠であるということは言うまでもありません。
 しかしモーセは、荒野の途上で再会した舅エテロから諭されたように、組織を編成したり、心情的に相対する基台を造ったりするという考えを欠いていました(出エジプト記18:13~26)。

 そしてその中でも特に重要なことは、後に「幕屋を中心とする復帰摂理」で神が啓示されるように、本来は幕屋(三大恩賜と十戒)をもって、「実体基台」を復帰するのではなく、モーセの家庭が幕屋の実体、すなわちみ言の完成実体として、夫婦一体、親子一体の姿を現し、それをもって絶えずみ言で民を育てつつ導いていくことだったのです。

 しかし結論的には、モーセの2回にわたる40日断食の信仰基台の上で、幕屋は建立されましたが、モーセに対する兄姉アロンとミリアムの態度(民数記12:1~8)、あるいは、12人の族長たちによる40日カナン偵察の失敗(民数記13:25~14:5)などで明らかなように、民族との一体化の基台を立てることができませんでした。
 このことによって、「実体基台」は復帰できず、荒野の真っただ中で神の怒りを受けた民族は、子孫たちを残して一人残らず死滅し、第2次民族的カナン復帰路程は失敗してしまいました。

3)第3次民族的カナン復帰路程

神に導き入れられたヨシュアと内的イスラエル
 第3次民族的カナン復帰路程では、第1次路程と第2次路程失敗の蕩減条件を立てるために、モーセとイスラエル民族はそれ以前にも増して、厳しい困難な路程を通過しなければなりませんでした。

 しかし一方、第3次摂理は完成すべき原理的条件がありますから、第3次家庭的メシヤのための基台がアブラハム家庭からイサク家庭に延長して成就したように、モーセを中心とする復帰摂理から後継者ヨシュアを中心とする復帰摂理へ延長する路程を歩んでまでも、神はヨシュアと荒野で出生したイスラエル民族の後孫たち(内的イスラエル)をカナンに導き入れたのです。

 「信仰基台」の復帰は、第2次路程における12人の族長たちによる40日カナン偵察の失敗を蕩減復帰するために神によって荒野に取り残されたモーセと民族が、神からの命令である「40年間荒野流浪の期間」をいかに信仰を立てて受け止めるかに懸かっていました。

 モーセは80歳を越える高齢にもかかわらず、荒野で倒れ死んでいく親を見つめ叫び声を上げている子孫たちの悲惨な姿を前にしながらも、神のみを頼りに必死の思いで40年の期間を全うしたのです。
 しかし、第3次路程においても勝利の鍵はこのモーセと荒野路程を共に生き抜いた民が真の一体化の基台を造成して「実体基台」を復帰するかに懸かっていました。

孤独で厳しい闘いを強いられたモーセ
 この「実体基台」を復帰するために神は、「出発のための摂理」としてモーセをして民の前に奇跡を起こし、その権能を現すことによって結果を計ろうとしました。
 それが、飢えと乾きに叫び声を上げる民に磐石を杖で打つことによって水を出すように命じた神の摂理でありました。
 しかしこの神の期待は、モーセ自身の不信仰によって裏切られるという最も悲惨な結果となってしまったのです。

 かつて、アブラハムが最後の祭物であった鳩を裂かずに献祭して失敗してしまったように、モーセも、それまでいかなることがあっても天への忠誠を貫き忍耐に忍耐を重ねてきたのでありますが、最後になってあまりにも不信仰なる民の姿についに怒りを抑えることができず、磐石(岩)にその怒りをぶつけてこれを二打(連打)してしまったのです。

 これは神のみ言に対する不従順であり、キリストを象徴する磐石に対する冒涜行為となり、モーセ自身が神の前に再び立つことができないという悲惨な結末となりました。
 その後、神の警告のごとくモーセは、ヨルダン川のかなたにカナンの地を臨みながらピスガ山の頂で哀願の祈りをささげながらも、死んでいかざるを得ませんでした。

 私たちはこのことを通し、摂理の中心的使命を担う人物がいかに孤独で厳しい闘いを強いられ、その言動の一つ一つが摂理上決定的な意味を持つものであることを改めて知らされます。
 そしてまた、真の父母様が絶えず強調しておられる「天宙主管の前に自己主管」というみ言の重さを改めて痛感するのです。

モーセの死後
 さて、「実体基台」の復帰はモーセの死後、その「信仰基台」の中にあって、いつもモーセと心情を一つにして、幕屋への信仰を守り続けてきたヌンの子ヨシュアを通して継承されていきました。

 ヨシュアは神の召命を受け祝福され、「強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである(ヨシュア1:6~7)」と語られたごとく、カナン福地を目前にして、み旨とみ言の前に絶対従順を貫いた人であります。

 従って神は、モーセを奇跡と恵みをもって導いてこられたごとくに、ヨシュアにも多くの奇跡を起こしました。
 レビ人の舁(か)く箱によってヨルダン川を分けエリコ城を崩壊させ、カナン七族を中心とする決戦で奇跡的勝利をもたらすことができたのは、ヨシュアの信仰とそこに全幅の信頼を寄せたイスラエル民族〈内的イスラエル〉(ヨシュア記1:16~18)との一体化の故であります。

 ヨシュアはこのように第3次路程の中にあってモーセの志を相続し、「民族的実体基台」を見事に成就して、民族的カナン復帰を成し遂げました。
 この内容は、今日にあって成約時代を迎えカナン定着時代(現在は、天一国時代天宙的カナン定着時代)に入った私たち一人一人が相続すべき教訓であり、勝利の方法です。神の願いを真っすぐに実行する姿勢が今こそ必要であることを、歴史ははっきりと教えています。



統一原理」を学習したいというあなたへ

「統一原理」関連書籍はコチラから