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統一原理補講 6
モーセを中心とする復帰摂理②

ナビゲーター:佐野邦雄

 「統一原理補講」は、1993年7月から1994年8月にかけて、あの伝説のメディア『氏族教会FAX-NEWS』に掲載されたシリーズです
 執筆者は、これまた伝説の原理講師、佐野邦雄氏です。30年の時を超えてよみがえる原理学習ページ。統一原理学習の補助教材としてご活用ください。(一部修正加筆し、小見出しを付け、読みやすく改訂しました)

 モーセを中心とする民族的カナン復帰は、結果的には3次まで延長して展開しましたが、第1次の路程こそ、その摂理の最も原理原則型を現しているといえます。
 なぜなら、本来神は最も短い期間において、最小限の犠牲でみ旨を成就しようとなさるからです。

 モーセ路程は、民族大移動を中心として40年を越え、最後は民族全体が二世にその使命を託して荒野で壊滅するという最悪の展開となりました。

 初めは、わずか21日間でカナンへ移住する神の計画であり、もしエジプトの地でメシヤのための基台が成就すれば、移動せずともメシヤを迎える道が開けたはずだったのです。

1第1次民族的カナン復帰路程

民族的基台の中心人物、モーセの誕生
 ヤコブを中心とする70人家族がエジプトの地に寄留して後、約400年を経てレビの後孫4代目として、アムラムとその妻ヨケベテの間に生まれたのがモーセでした。

 ヤコブが勝利した「メシヤのための家庭的基台」と400年の民族苦役による蕩減期間の上に立っていたモーセは、信仰基台の中心人物アベルの立場であり、またその基台の上に復帰されるべきアダムの立場でもありました。

 サタンはあらかじめこのことを知って、時のエジプト国王パロの手を通して、ヘブル人(イスラエル人)を虐待し、その頃誕生した幼い男子を皆殺しにするようにとの命令を下したのです(出エジプト1:8~16)。

パロの宮中で40年を過ごしたモーセ
 モーセはそのような困難な状況の中で生まれましたが、母ヨケベテと姉ミリアムの助けによって殺されずに済みました。
 すなわち生まれて3カ月、モーセは母親の手によってパピルスで編んだ籠に入れられ、ナイル川の葦(あし)の陰に隠されていました。

 その時、そこに体を洗いに来たパロの娘(王女)がモーセを偶然発見し、ヘブル人の子であるにもかかわらず、その麗しい姿を見て自分の息子にしようとするのです。
 そこで、それを垣間見ていたモーセの姉がすぐにパロの娘に近づき、知恵を巡らして、その子のために乳を与える乳母を連れてきましょうと進言したのです。

 パロの娘の承諾を得て、呼んできたのは実の母親であるヨケベテでした(出エジプト2:1~10)。
 このことは、アダム家庭でサタンと不倫の関係を結んだエバが、さらにアダムを誘惑することによってサタン側の息子としてしまったことに対する蕩減として、母とその娘が一つになってサタンの手から息子を救ったという意味を持つものです。

 実母の手で愛され、選民として育てられたモーセは成長した後、パロの娘の子として引き取られ、エジプトのあらゆる学問を身に付け、言葉や技に秀でた者となりました(使徒行伝7:22)。

 そして40歳になるまで、モーセはパロの宮中で生活することになります。これはぜいたくを極めた環境の中で、サタンのあらゆる誘惑に負けることのない分別生活を貫くことによって、モーセが初めて民族的に信仰基台を復帰すべき中心人物として立つことができるかどうかを意味していました。

モーセの使命はメシヤのための民族的基台の造成
 モーセは母親から幼少期に受けた神のみ言を守り抜き、400年間の民族苦役の内容を一代40年間で蕩減し、「40数によるサタン分立条件」を見事に勝利し、民族の前にアベルとしての立場と復帰されたアダムの立場に立つことができたのです。

 モーセを中心とする実体基台は「メシヤのための民族的基台」をつくるところにあります。
 そのためモーセには、アベルとして、またアダム(父母)の位置に立つ者として、民族を真の愛で完全に愛したという条件が願われたのです。

 そこでモーセは、パロ宮中にあってエジプト人の側に立つような身でありましたが、苦役にあえぐ同胞の姿を見るに忍びず、同胞をムチ打つ一人のエジプト人に対して、義憤に燃えてこれを打ち殺してしまったのです(出エジプト2:11~12、使徒行伝7:23~24、ヘブル11:24~26)。

 これはアダム家庭でカインがアベルを殺害して、悪が先行する出発をしてしまったことを蕩減復帰するための摂理でした。
 エジプト人を打って本来の善なる歴史として出発する蕩減条件として行われたものであり、モーセの同胞愛とその結束を目指す「出発のための摂理」でありました。

勝利の鍵は内的心情一体化、内部結束
 一人の人物を中心として多数の民が一つになるということは容易なことではありません。
 特に自分自身を証しするということは困難なことであり、そのためには他に証し人が必要なのです。

 モーセの場合は、3歳年上の実兄アロンがその立場であり、また12人の族長たちがその役割を背負っていました。
 このことは民族的基台の前に兄弟の一体化つまり家族的基台が必要であることを意味しています。

 先のエジプト人の殺害は、イスラエル同胞の前にモーセの民族愛を証しするための行動であって、イスラエルの民の目に触れることはあっても、パロをはじめとするエジプト人には、知られず行われたことでありました。

 従って、このことを中心にイスラエル民族が内的心情一体を成して結束すれば、エジプトの地でパロを屈伏させ、メシヤを迎える基台をつくることも可能であったのです。
 しかし問題は、その内部結束を図ることができなかったことでした。

成し遂げられなかった実体基台
 翌日二人のヘブル人(イスラエル人)が争っているところを見付けたモーセは、仲裁に入り、互いをいさめたのですが、悪い方の男はモーセの同胞を思いやる気持ちを理解することができず、逆にモーセに対して挑戦的態度を取り、モーセのエジプト人殺害行為を暴露し、非難したのです。そのため、やがてそれはエジプト人からパロの耳にまで届くこととなってしまったのです。

 このことによって、イスラエル民族の結束が図れなかったばかりでなく、モーセ自身がエジプトの地にとどまることさえ不可能になりました。そしてついにモーセはエジプトをいったん離れてミデアンの地に移住しなければならないこととなり、実体基台は成就できませんでした(出エジプト2:13~15、使徒行伝7:26~29)。

モーセ路程の教訓は近い者の不信、分裂行為
 これは「メシヤのための民族的基台」を目指した第1次民族的カナン復帰路程の失敗を意味し、結果的には第2次路程に延長せざるを得ないことになりました。

 私たちはこれらの事実を通して神のみ旨を成就するためには、最も身近な者たちの結束が絶対に必要であることと同時に、それが崩れるのも近い者の不信や分裂行為からであるということを教訓としなければなりません。

 さらに今日、成約時代(1993年~2012年、現在、摂理的には「天一国時代」を迎えている)の安着に責任を持つ一人として、家庭(夫婦)の一体化、氏族の一体化、そして教会における食口(シック)が真の父母の下に一つとなることこそ、最も大切なことであることを深く自覚しなければなりません。

(続く)



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