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シリーズ中級講座 29
家庭盟誓<6>

 世界家庭誌で2021年11月号から2022年12月号までの期間に掲載された「中級講座シリーズ」の内容を、「シリーズ中級講座」のタイトルで毎日朝5時にお届けすることになりました。信仰生活の向上、毎日のみ言学習にお役立てください。

伝道教育局副局長
入山 聖基

 このような聖句があります。「わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである」(ルカ六・4748)。

 私たちの信仰においても、「土台づくり」が大切です。初級講座や中級講座を受講する教育期間は、信仰の「成長期間」でもあります。「三つ子の魂百まで」という、ことわざのように、信仰の初期に、「自分は何を信じ、何を目指すのか」という出発の原点を、「信仰の土台」として持つことが大切です。

 受講者が、統一原理や真の父母様のみ言に対して、講義や祈祷を通して知的、情的に“確信”し、伝道や奉仕活動などで“実感”を得られるように導いていきましょう。確信と実感に裏づけられた信仰の土台を持ってこそ、自立した信仰者となることができるでしょう。

 しっかりした根を張ってこそ大木は育ちます。み言との出合いによって、一人一人に宿った新しい霊的生命が、いかなる試練にも揺るがない“信仰の樹”に育つように、投入していきましょう。

 今回からは、「家庭盟誓(カヂョンメンセ)」の後半、4節から8節の意味について掘り下げて学びます。家庭盟誓の一文字一文字には、真の父母様の勝利圏が刻まれています。唱和するたびに、その内容が心に深く響くよう、改めて、私たちの信仰の土台を固めていきましょう。

『恩讐の彼方に』に見る蕩減の道

 菊池寛(18881948)の作品に、『恩讐の彼方に』という小説があります。あらすじを紹介します。

 江戸時代のこと。主人公の市九郎は、男女問題の過ちから、仕えていた主人を殺してしまいます。そして、江戸を出て逃避行を続け、生きていくために追い剥ぎや強盗、殺人まで犯し、さらに罪を重ねていくのです。

 しかしあるとき、「自分の今までに犯した悪事がいちいち蘇って自分の心を食い割いた」と、良心の呵責に耐えかね、ついに出家して法名を了海と名乗り、修行を重ねます。

 贖罪の旅に出た了海は、各地で困難にあえぐ人々を助けたり、壊れた橋を直したりして善行を積みました。しかし、良心の痛みは一向に消えませんでした。

 豊前(ぶぜん)の国の山国川の渓谷に流れ着いたとき、人々が断崖絶壁の道から滑落し、命を落としていることを知ります。了海は、岩盤を掘り抜いて洞穴ができれば、多くの人を救うことができるとひらめきました。

 そして、お経を唱えながら槌(つち)を鑿(のみ)に振るい、岩を削り始めました。しかし、渾身の力で振るっても、23の破片が飛び散るだけです。貫通させるには、300メートル以上掘り抜かなければなりませんでした。

 1年後、進んだ距離はわずか3メートルでした。村人は、「一年の間、もがいて、たったあれだけじゃ……」と嘲笑しました。
 4年が過ぎ、洞穴は15メートルになりました。村人たちは驚きはしても、助けようとする者は一人もいません。「可哀そうな坊様じゃ。……十の一も穿(うが)ち得ないで、おのれが命を終(おわ)ろうものを」と同情するだけでした。

 9年が過ぎると、洞穴は40メートルになりました。村人たちは、絶壁を掘り抜くことができるかもしれないと考え始め、了海の事業の可能性に気がついたのです。それで、石工たちが雇われ、一緒に掘り始めました。

 しかし、翌年になっても絶壁の4分の1にも達していないのを見て、村人たちは落胆し、疑惑の声を漏らしたのです。一人減り二人減り、了海はまた一人になってしまいました。そして、人々の関心から消えていきました。
 13年が過ぎたとき、洞穴は3分の1118メートル)に達していました。すると、村人は再び、了海に尊敬心を抱き、10人近い石工が投入されました。しかし、1年もするとまた減っていき、了海が槌を振るう音だけが残りました。

 了海は、一心不乱に槌を振るう中で、良心の痛みが消えていくのを感じていました。
 18年が過ぎました。洞穴は2分の1に達していました。もう誰も疑う者はいません。巡視に来た郡奉行がねぎらい、30人近い石工が投入されました。了海は暗闇での作業や岩の破片で目が傷ついたため視力を失い、長期間座り続けたため、つえがなくては歩けなくなっていました。

 19年が過ぎたときのことです。かつての主人の息子の実之助が訪ねてきます。父の敵を捜して全国を巡り、9年目にしてようやく捜し当てたのです。ただ、目の前にいるのは、村人を救うために一身を捧げ、すでに死骸にも見えるやせ細った老僧でした。

 復讐を遂げようとすると、村人たちが、了海のことを「持地菩薩の再来とも仰がれる方じゃ」と言って守りました。実之助は、せめて洞穴が完成するまで復讐を待ってほしいという村人の願いを聞き入れます。そして、深夜、一人でひたすら槌を振るう了海の姿を目の当たりにしてからは、自らも事業に加わるようになりました。こうして怨讐関係の二人が、日々並んで槌を振るい続けたのです。

 その1年半後、ついに向こう側から洞穴に光が差し込みます。貫通したのです。21年目のことでした。そのとき、実之助の心から、了海への憎しみは消え失せていました。
 二人は全てを忘れて感激の涙にむせび合ったのです。

 『恩讐の彼方に』は、大分県にある「青の洞門」を開削した禅海和尚をモデルとして描かれました。禅海は30年かけて144メートルの岩盤を掘り抜いたそうです。

 罪を犯した人間は、良心の呵責と向き合い、罪を清算していかなければなりません。この小説は、それがどういうことなのか、復帰原理から見て、蕩減(とうげん)条件はどのように立てられていくのか、を教えてくれます。

 私たちは真の父母様の勝利圏のもと、祝福結婚を受けることで原罪が清算されます。しかし、長い歴史で積み上げられた罪悪を清算するための蕩減条件は、簡単には立てることができません。この物語のように精誠を尽くして初めて成されるのです。

 私たちには、そのような困難の中でも不変の信仰を貫くための羅針盤が必要でしょう。それが家庭盟誓です。

 それでは、後半部分の内容を確認していきましょう。

(続く)