https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4161

シリーズ中級講座 27
家庭盟誓<4>

 世界家庭誌で2021年11月号から2022年12月号までの期間に掲載された「中級講座シリーズ」の内容を、「シリーズ中級講座」のタイトルで毎日朝5時にお届けすることになりました。信仰生活の向上、毎日のみ言学習にお役立てください。

伝道教育局副局長
入山 聖基

家庭盟誓 2
 「天一国(てんいちこく)主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、天の父母様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します

①天の父母様と真の父母様に侍り
 「神様と真の父母様に侍らなければならないのですが、アダムとエバが堕落することによって、神様と真の父母様を家庭から追い出してしまいました。神様と真の父母に侍らなければ、神様のみ旨が完成しません」(天一国経典『天聖経』1342ページ)とあるように、私たちの信仰生活の中心は、天の父母様と真の父母様に侍って生活することです。これを「侍義生活」と言います。

 侍義には、「一緒に暮らす」という意味があります。人類は、神様を知らずに生きてきました。神様は、人類から無視され、追い出された立場にあったのです。人類は、神様を悲しませ、その心を傷つける生活を送りながらも、罪を犯しているという自覚を持つこともありませんでした。

 私たちは、神様を喜ばせる生活をしていかなければなりません。常に神様を中心として暮らす侍義の生活です。日々、家庭盟誓(カヂョンメンセ)を唱和しながら、「侍る生活」を意識していきましょう。

②聖子の家庭の道理
 「個人的には家族全員が聖子の位置まで行くことができなければならず、そのような聖子の家族全員が集まって聖子の家庭を築くようになるという意味です」(『平和経』332ページ)

 私たちの家庭は、「聖子」たちによって形づくられなければなりません。では、聖子とは何でしょうか。この言葉は、家庭連合においてのみ使われているようです。似た言葉に「聖人」がありますが、どのように違うのでしょうか。そのことに関して、史吉子先生(36双)が、真のお父様と興味深いやり取りをされています。

 「聖人とは、どういう人ですか?」

 「人間は、三種類に分けられる。凡人、悪人、聖人だ。悪人とは、人が善くしてくれても、してくれなくても悪く当たる人であり、凡人は、人が善くしてくれれば、人に善くしてあげられる人だ。普通の人は凡人である。聖人とは、人が善くしてくれても悪くしても、自分は善くしてあげようとする人だ」

 「では、お父様、聖人と聖子は、どう違うのですか?」

 「聖人は、地上の法で生きているが、聖子は、天の法、霊界の法で生きている。私が一生の間、どのように生きてきたか。怨讐(おんしゅう)を憎むことなく、怨讐のためにも犠牲になって生きてきた」

 天の法によって生きるのが聖子です。神様の真の愛を中心に生きているので、怨讐がありません。
 「歴史的な聖人とは世界人類のために今まで犠牲になって死んでいった人です。そして神の息子聖子とは、神様を中心として、世界のために生きようとした人です。世界の人々に対して、神様に対するように生きる人が聖子なのです。聖子は、聖人とは違うのです」(『真なる子女の道』78ページ)