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心情開拓
心霊を育てる生活原則(118)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

8 永遠に生きる信仰

▲李耀翰先生

マリヤとマルタ

 マリヤが泣きながらイエス様に香油を注いでも、マルタや弟子たちは、マリヤがどういう悲しさをもっているのか全然知らないで、ただ食事をしていました。

 マリヤとマルタの信仰は比較できません。外的に見れば「食事時間なのに食事もしようとしない、あんな頭の悪い女はいるか」と大勢が思ったのです。そしてまた、若い娘が結婚していない先生に対して泣きながら高価な香油を費やすので、「あんなことをするから、社会が先生や私たちをこのように迫害するのだ。あの高価な香油を売って貧しい人々に施せば、どれほど褒められるか」と目に見えたものを自分なりに判断したのです。

 だからイエス様の立場で聞きたいのは、「お前はいつからそんな貧しい人のために涙を流して、情的に基台をつくってきたのか? そういう言葉を、どこの基台の上で発見したのか?」ということです。本当に貧しい人に愛着心をもって泣く、そういう情的な基台の上で話せば認めるのですが、今までユダは金を愛する心は常にあったけれども、人間を愛する心はなかったのです。いわゆるどろぼうです。

 どろぼうというのは、実際そのものを盗むというよりも、情的基台がないのに「ああだこうだ」と言うのがどろぼうなのです。自分は汗を流さずに、他人の価値あるものを自分のものにしようとするのがどろぼうです。

 だから、愛着心をもたずに、ただ目に見えたから、ああだこうだと判断する。高価な香油を費やすのを見たから、もったいないと思った。何のために費やしているのかも知らないで、自分なりに判断したのです。

 マリヤは今、先生が死ぬことになったのに、何がもったいないものがあるかいうのです。内情を知っている立場では、もったいないものはないというのです。自分の生命をささげてもいい、もうその場で死にたくなったのです。香油が問題ではない。栄誉が問題ではない。迫害が問題ではない。もう殺されるのに、今になって迫害を恐れることがあろうか、命を懸けなくてはならない時が切迫しているというのです。

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 次回は、「軽々しい判断」をお届けします。


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