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祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 110
神に祈りながら講義する

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
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(光言社・刊『祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂』より)

第三章 神氏族的メシヤの責任完遂

第二節 『原理講論』を中心とした伝道

(一)原理講義の在り方⑨

 再創造の役事なので、神様が主体になり、私が協助する足場になって授受する力があってこそ、第三の対象が繁殖して復帰されるのではないですか。再創造はそうです。それが原理観です。また、それが原理講義をする人として備えるべき姿勢です。原理を完全に知らなければ、そのように相対的な影響を及ぼせる自分の心的基盤を整えることができません。ですから、祈らなければならないのです。「お父様、きょうはこのような題目で講義をいたします」と祈るのです。

 祈りの中で講義をしながら、「神様はこのような心情をもっていた」ということを感じなければなりません。神様と論議しながら講義をするのです。「このみ言(ことば)を中心として、あなたが必要とする対象として、きょう復活させる人は誰でしょうか。あなたが願い、あなたが待ち望む人がいれば、私が全力を尽くしてその人を逃しません」と祈らなければなりません。いつも自分のやり方で講義をしようとしていては、伝達することはできても、人の命を復活させることはできないのです。絶対に命を蘇生(そせい)させることはできません。ですから、先生もそうです。講義をするとき、必ず神様を中心として影響を与えることができる立場でするのです。(68971973.7.23

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 明日は、「原理のみ言を忠実に語る」をお届けします。