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シリーズ中級講座 24
家庭盟誓<1

 世界家庭誌で2021年11月号から2022年12月号までの期間に掲載された「中級講座シリーズ」の内容を、「シリーズ中級講座」のタイトルで毎日朝5時にお届けすることになりました。信仰生活の向上、毎日のみ言学習にお役立てください。

伝道教育局副局長
入山 聖基

 「中級講座」を修了すると、神様と共に生涯をかけて営む「生涯信仰」を始めていきます。

 「初級講座」で、この内容が真理であると確信すれば、“真理に根ざした生き方をしよう”という動機が芽生えます。そして、行くべき復帰の道が、自らの人生をかけて全うすべきものであると深く自覚することで、信仰の動機が定まるのです。

 しかし、その道はとても長いものです。歩む動機を失わせようとする、あらゆる試練にも遭うでしょう。信仰の価値は、そのような中でも、いちずに貫くところに現れ、未来、後孫につながります。そして、それは千年の伝統となり、永遠の世界に通じるのです。

 今回は、信仰生活における「約束」の価値を確認し、天に対する具体的な誓いの言葉である「家庭盟誓(カヂョンメンセ)」について学びます。日々、家庭盟誓を唱和している教会員の皆様においても、内容をよく理解しないまま、形式的、表面的に唱えていることもあるのではないでしょうか。私たちが一体、何を「盟誓」しているのかを明確にすることで、より心のこもった天への誓いとなるに違いありません。

『走れメロス』に見る「約束」の価値

 皆さんは、作家の太宰治をよくご存じでしょう。彼の代表作『人間失格』では、主人公の「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました」という独白に見られるように、人間の絶望が描かれています。その一方で、もう一つの代表作である『走れメロス』には、人間の希望的な側面、その本質にスポットが当てられています。

 物語の概要を紹介します。

 『走れメロス』の主な登場人物は、主人公メロスと親友セリヌンティウス、暴君ディオニス王です。王は、人間不信から、肉親をはじめ、次々と罪なき人々を処刑していきました。その話を聞いた牧者メロスは、義憤に燃え、王の暗殺を決意して王城に侵入します。しかし、あっけなく捕まり、死刑に処されることになりました。

 義のためには死すらいとわない強い精神を持ったメロスでしたが、たった一人の家族である妹の結婚式を控えており、その前に死ぬわけにはいかないと思いました。そこで、親友セリヌンティウスを人質にする代わりに、王様に3日間の猶予を願い出たのです。王様は、“これは逃げ口上で、絶対に帰ってこないだろう。人間は信じられない存在だということを民衆に証明するいい機会だ”と考え、これを許可しました。

 10里の道を走って帰ったメロスは、無事に妹の結婚式を終え、安堵します。その後、王城に戻るまでに、メロスはさまざまな試練に遭い、親友と固く交わした約束を破ってしまいそうになります。

 第一の試練は「人情」です。幸せそうな妹の姿を見て、もう少しここにいたいという人情に流され、出発するのを躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。

 第二の試練は「疲れ」です。家で過ごすうちに疲れが出て、眠ってしまいました。

 第三の試練は「事情」です。寝過ごして出発すると、豪雨で川が氾濫し、渡れなくなっていたのです。メロスは、天災だからしかたがないと諦めかけますが、親友を思い、川に飛び込みます。

 第四の試練は「遭難」です。何とか決意を取り戻し、必死に川を泳ぎ切ると、そこには山賊がいて、身ぐるみはがされてしまいました。


 第五の試練は「限界」です。メロスはついに疲れ切り、動けなくなってしまいます。その途端、弱気になるのです。心の中に、あらゆる言い訳が湧いてきました。

 “約束を破る心は、みじんもなかった。動けなくなるまで走ったんだ。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみればくだらない。人を殺して自分が生きる、それが人間というものだろう”

 そんなとき、水の流れる音がしました。岩の裂け目から水が湧き出ていたのです。それを飲んで我に返ります。

 第六の試練は「説得」です。再び走り始めたメロスの前に、親友の弟子が現れます。「もう間に合いません。やめてください。あなたまで死んでしまいます」と呼びかける弟子に向かって、メロスはこう言いました。「人の命は問題ではない。私は、もっと恐ろしくて大きいもののために走っているのだ」。

 試練を乗り越え、メロスは、自らの命まで捧げようとした行動の原点に帰りました。裸同然の姿で王城に到着すると、セリヌンティウスに駆け寄り、「私を殴れ。私は途中で諦めた。殴られなければ、あなたを抱擁する資格がない」と訴えます。セリヌンティウスはメロスを殴り、こう言います。「私を殴れ。君を疑った。殴られなければ抱擁できない」。メロスも同様に殴りました。

 「ありがとう、友よ」。二人は同時に言い、抱き合って共に泣きました。その姿を見ていたディオニス王は、「おまえたちは、私の心に勝った。私も仲間に入れてくれ」と言い、集まった民衆は歓喜の声を上げ、万歳をしたのです。

 この話はあたかも、サタン屈伏の典型路程であるヤコブ路程を表しているようです。信仰の道は、サタンを自然屈伏させるための道であり、日々の信仰生活は、蕩減(とうげん)復帰のための生活です。それは、神様との約束を守る生活でもあります。神様との約束を破って堕落した人間なので、約束を守って蕩減復帰しなければならないのです。

 選民であるイスラエル民族は、カナンを「約束の地」と呼びました。神様が、堕落した人間に対して、天国の実現を約束してくださったのです。彼らは、見たことも聞いたこともない土地を目指して荒野を進みました。その間、多くの者が倒れていきます。真のお父様は、「イスラエル民族が荒野で倒れたのは、勝利しなければならないという信念がなかったためである」(『御旨の道』121ページ)と説明しておられます。

 神との約束は、荒野で出生した二世たちに受け継がれました。彼らは、その約束、理想を捨てることなく、カナン定着時代を迎えました。

 私たちは現代の選民です。理想を決して奪われない、イスラエル民族の信仰を相続しなければなりません。

 私たちに約束された国は、「天一国(てんいちこく)」です。そのゴールに到達するまで、いかなる試練に遭っても、神様との約束を失ってはなりません。人情、疲れ、事情、遭難、限界、説得、あらゆる困難を耐え忍んで信仰を貫くのです。

 真のお父様は、神様とイエス様との約束を果たすため、生涯を捧げられました。今、真のお母様は、お父様との約束を成し遂げようとされています。私たちも、不変の信仰で最後まで約束を守る民となり、この地に天一国を安着させていきましょう。