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祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 105
どのように講義をするか

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
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(光言社・刊『祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂』より)

第三章 神氏族的メシヤの責任完遂

第二節 『原理講論』を中心とした伝道

(一)原理講義の在り方④

 これから講義をするとき、どのようにしなければならないのでしょうか。講義をするときは、ただ原理のみ言(ことば)を語ればよいと考えてはいけないというのです。先生の歴史を語り、神様の歴史を語ると考えなければなりません。結局、語る人がその歴史を相続し、その歴史と一致するために語るということです。十回やれば十回やった分だけ深まるので、語る人が先生や神様と心情的に近くなるために語るというのです。人を救うとともに、語る人も近くなるために語るのです。

 したがって、十回やれば十回やった分だけ近くなり、十回やれば十回やった分だけ深くなります。そのために祈れば、祈った分だけそれが深くなり、幅が広がります。高まるということです。高まるので、結局はどのようになるのかというと、心情基準において自分が発展し、心情一体を中心とする発展の度数を強化できる機会が生じます。それがみ言を伝える時間であり、食口(シック)を導き、教える時間です。(1572521967.4.10

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 明日は、「メシヤの存在を証しする」をお届けします。