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宣教師ザビエルの夢 2

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第一章 日本人とユダヤ・キリスト教

一、日本に押し寄せたキリスト教の波

●日本とキリスト教との三度の出合い
 199725日は、日本における最初のキリスト教徒の殉教から数えて400年目に当たりました。また1999年は、フランシスコ・ザビエル(◆注1)が日本を訪れてから450年目の年になります。日本とキリスト教との出合いを歴史的にひもといてみると、そこには接点に立たされた人々の苦悩と彼らが求めた理想の姿がかいま見えてきます。そして、その背後に歴史の主とでも言うべき存在の隠された意思と心情が感じられてくるようにも思えるのです。

▲フランシスコ・ザビエル

 西欧ではぐくまれたキリスト教が東洋諸国のキリスト教化をねらってうねり始めた宣教の波が、日本に向かって怒涛(どとう)のごとく押し寄せた時期は、過去に3回ほどありました。第一次の波は、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した1549年に始まります。第二次は、幕末から明治にかけて、そして最後の波は、太平洋戦争終結の時に訪れます。日本が広くキリスト教を受容するという点からみれば、大きなチャンスの時でありながら、三度ともその試みは成功していません。ですから、その一つ一つは、望みを果たしえない悲しみと多くの教訓を波間に漂わせているものと思えます。

 三度の出合いの中でも、私が最も興味を感じている時期は、最初の波が押し寄せてきた1世紀の期間です。なぜなら、まさにこの時期、東洋の一隅にある日本と西洋キリスト教が真っ向からぶつかり合った時代だからです。

 そこで、この時代に起こった出来事、生きた人々の姿を見つめつつ、その背後に隠された「意思」を探っていきたいと思うのです。


◆注1:フランシスコ・ザビエル(1506年~1552年)/スペインのカトリック司祭。イエズス会の創設に加わる。インド、東南アジア、日本の宣教を開拓、後に「東洋の使徒」と呼ばれる。

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 次回は、「最初の殉教とその結果」をお届けします。


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