2023.08.13 05:00
シリーズ中級講座 13
救援摂理史の原理観<5>
世界家庭誌で2021年11月号から2022年12月号までの期間に掲載された「中級講座シリーズ」の内容を、「シリーズ中級講座」のタイトルで毎日朝5時にお届けすることになりました。信仰生活の向上、毎日のみ言学習にお役立てください。
伝道教育局副局長
入山 聖基
ヨセフとマリヤの失敗
「ヨセフは、マリヤが妊娠した事実を知るようになります。この時、彼の衝撃はどれほど大きかったでしょうか。愛する婚約者のマリヤが、自分とは何の関係ももたない状態で、三カ月間どこかに行って戻ってきた時には妊娠していたというのですから、ヨセフがマリヤに、誰の赤ん坊を身ごもっているのかと追及するのは当然のことでした。その時、もしマリヤが正直に話してしまっていれば、どんなことが起こっていたでしょうか。もし明らかにした場合には、一族が滅亡するのです。ですから、マリヤはただ『聖霊によって懐胎した』とだけ話したのです。
……ヨセフは神様の啓示を信じ、妊娠は自分の責任であると擁護した義人でした。これによってマリヤは、婚約期に妊娠したという嘲笑は浴びたとしても、石を投げられて死ぬことはなかったのです」(『平和経』、122ページ)
ヨセフは、夢の中で天使から啓示を受けました。
「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」(マタイ一・20〜21)
ヨセフはこの言葉を信じ、誰が父親か分からない子供を宿した婚約者マリヤを守らなければなりませんでした。ヨセフもまた、天への絶対信仰が問われたのです。
ヨセフには、天使長の立場を蕩減復帰する使命が託されていました。それゆえ、マリヤの懐胎に関して、絶対信仰で神を信じ、湧き上がる愛の減少感を克服しなければならなかったのです。
「マリヤを愛したヨセフは、初めはこのようにマリヤを守ってあげました。しかし、ヨセフの心の底には悩みがたくさんありました。特に、生まれたイエス様を見つめるヨセフは、その父親に対する疑問がつのり、心中に苦痛を頻繁に経験するようになりました。イエス様が成長するとともに、ヨセフとの心情的な関係において距離が生じるようになり、このことによって、家庭に頻繁に争いが起こったことは間違いない事実です。こうしてイエス様は、私生児の立場で、ザカリヤの家庭の保護も受けられず、またヨセフとの関係も厳しい状況下で、心情的に、言うに言えないほど寂しい立場で育ちました」(『平和経』、122〜123ページ)
ヨセフは神に対する絶対信仰とマリヤへの愛のゆえに、衝撃を受けながらも、マリヤを信じ、守り、イエス様が誕生される道を開きました。しかし、時間がたつにつれ、疑心と愛の減少感が大きくなっていったのです。
堕落性を脱ぐための蕩減条件は、失われた成長期間を取り戻すために、長い闘いを経て立てられます。それゆえ、信仰を「持つ」だけでなく、「持ち続ける」ことが求められるのです。
しかし、ヨセフは神の計画を信じ切れず、マリヤへの思いを断つことができませんでした。ヨセフは天のみ意(こころ)とは違う道を行くようになり、とうとうマリヤと夫婦関係を結び、ふたりの間に子供を設けたのです。マリヤはエバの失敗を繰り返し、サタンが家庭に侵入する条件が整ってしまいました。
ヨセフは神に対する信仰が薄れ、現実的な考えしかできなくなりました。信仰における負債と愛に対する疑念によって、イエス様を見詰める目は、ますます複雑なものとなったことでしょう。イエス様は家庭内で孤立されるようになりました。親子で心の通った会話はなくなり、家庭における保護圏は失われていったのです。
「本心ではいけないと思いながら、マリヤはヨセフと夫婦関係を結ぶようになり、子女をもつことによって、エバの失敗を反復した結果になってしまいました。サタンはこれを条件として、彼らに侵入するようになりました。イエス様一人を残して、皆がサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエス様を守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟も、カイン側の兄弟も、すべてサタン側になってしまいました」(同、124ページ)
ザカリヤ家庭の信仰と失敗
次に、ザカリヤ家庭を見てみましょう。ザカリヤがイエス様の父親であれば、ザカリヤとエリサベツの間に生まれた洗礼ヨハネは、イエス様と異母兄弟となります。
ザカリヤとマリヤは、アダムとエバと同じ関係を、エリサベツとマリヤは、ヤコブ家庭のレアとラケルと同じ関係を、イエス様と洗礼ヨハネは、アベルとカインと同じ関係を、それぞれ蕩減するようになっていました。この氏族の関係において、歴史的に願われてきた、あらゆる蕩減条件が立てられなければならなかったのです。それを成し遂げるためには、一人一人に絶対信仰が欠かせませんでした。
信仰は、蕩減復帰を成し遂げるためにあります。ザカリヤを中心としたこの氏族には、救世主を誕生させ、囲いになって守るという重大な使命が託されていました。
「ザカリヤとエリサベツが、神様の啓示と霊的な恩恵のもとで、初めにもった絶対的な信仰をもち続けていたなら、状況は違っていたでしょう。彼らが責任を果たしていたならば、マリヤは三カ月後にその家を出たとしても、継続して彼らと行き来し、相談したはずです。
ザカリヤの家庭は、イエス様の誕生ののちにも、地を代表し、一番の先頭に立ってメシヤを保護し、侍(はべ)りながら証す人たちとして、神様が選んだ家庭でした。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、この上ない精誠を込めて侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従っていたはずでした。また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じさせ、救いを受けさせるように導く責任を果たしたはずです。
しかし不幸なことに、ザカリヤも、エリサベツも、洗礼ヨハネも、イエス様を神様の息子として証しただけであって、侍ったことはありませんでした。尊敬される祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の道を困難なものにしてしまい、民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い、人間的な思いに流れたときに、イエス様が願われた、新婦を迎えることに協力するはずはなかったのです」(同、123〜124ページ)
エリサベツはマリヤの懐妊を祝福したことから、最初は、絶対信仰で天の計画に同参していたのだと分かります。つまり、夫のザカリヤと、自らのいとこであるマリヤとの間に、救世主を誕生させるという天の計画を受け止めていたのです。
しかし、時間がたつにつれて信仰は薄れ、現実的となり、そのことでザカリヤとの夫婦関係が悪化しました。そのため、マリヤとの交流も途絶えてしまったのです。
ザカリヤ家庭とヨセフ家庭は親族として交流し、イエス様が成長して聖婚されるのを見守る使命があったにもかかわらず、それを果たすことができませんでした。もし、イエス様が幼い頃から、洗礼ヨハネと兄弟のように育っていかれたなら、どれほど良かったでしょうか。