2023.08.10 05:00
シリーズ中級講座 10
救援摂理史の原理観<2>
世界家庭誌で2021年11月号から2022年12月号までの期間に掲載された「中級講座シリーズ」の内容を、「シリーズ中級講座」のタイトルで毎日朝5時にお届けすることになりました。信仰生活の向上、毎日のみ言学習にお役立てください。
伝道教育局副局長
入山 聖基
神の救援摂理とメシヤ思想の根本
「神様の救援摂理は、失った真の愛の創造目的を回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。
このような点で、復帰摂理の根本は、いかにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだせるかにあります。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母を、いかにして誕生させるかということです。
……救援摂理は復帰摂理であり、復帰は一八〇度反対の道を通して行われるのが原則です。
真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探して立てなければなりません。神様が人間を創造するとき、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落と無関係な息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です」(『平和経』、117〜119ページ)
それでは、人類の復帰の道を開くにはどうしたらいいのでしょうか?
堕落した人間は、サタンの子女となって、その血統を受け継ぎました。そして世界は、サタン主権世界となり、あらゆる環境がサタンの主管圏となったのです。そこに復帰の道を開くためには、サタンが主管することができない圏内をつくり出さなければなりません。それを「サタン不可侵圏」といいます。サタンが侵入することができない聖別された環境圏です。
蕩減条件を立てる目的は、正に、このサタン不可侵圏をつくり出すことにありました。選民をはじめ、あらゆる宗教人たちがたどった犠牲と祭物の歴史は、そのためにあったのです。キリスト教の殉教の歴史も、自らを聖なる供え物として天に捧げ、サタン不可侵圏をつくり出すためにありました。
神の救援摂理の根本は、「創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだ(す)」「サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子(と娘)を探して立て(る)」ことです。それは、聖別された環境圏を、最終的に一人の女性の胎中に結実させるということです。これを「胎中聖別」の摂理といいます。聖別され、サタン不可侵圏となった胎中から生まれるがゆえに、サタンの讒訴を受けない子女、つまり原罪のない子女が誕生するのです。
サタンの血統を清算する道が開かれるかどうかは、神様の真の愛と生命、血統と一体になった救世主・真の父母の誕生にかかっていました。人類が救世主を迎えるために、救世主を生み出す一人の女性が現れなければならなかったのです。神は復帰摂理歴史を通して、その女性を探し求めてこられました。
復帰摂理に見られる「母子協助」も、そこにつながる蕩減条件でした。『原理講論』では主に、復帰摂理の中心人物として立った男性について書かれていますが、彼らの背後には、女性を中心として蕩減条件を立てる闘いがあったのです。
エバやノアの妻は、女性の使命を失敗した立場に立ってしまいました。しかし、「イサク献祭」の背後にはアブラハムの妻サラの母子協助、ヤコブの勝利の背景には母リベカの母子協助がありました。そのようにして立てられた蕩減条件の基台の上に、胎中聖別の道を開いた女性がタマルなのです。
タマルの信仰
「この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のためには、先に母親がいなければなりません。母親が息子を生むにしても、ただ単に生むのではありません。必ず復帰の公式を通して生まなければならないのです。復帰摂理の中に現れた母子協助はみな、天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。
……サタンの偽りの愛の種が、エバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入って分別しなければ、天の息子が胎中から誕生することができないのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、依然として分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりません。結果的にこの責任を担った偉大な母がタマルでした」(同、119〜120ページ)
旧約聖書の創世記第38章にタマルは登場します。
神から、歴史始まって以来、初めて「勝利した」という意味の「イスラエル」という祝福を受けたヤコブは、妻レアとの間に6人の男の子を授かります。その四男がユダです。ユダには3人の息子がおり、長男エルの妻がタマルでした。
エルが死んだとき、ユダは次男オナンに、「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」(創三八・8)と言って、タマルを嫁がせました。しかし、オナンはこれを嫌がり、夫婦関係を拒絶します。すると、「彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された」(同10)のです。
オナンの死後、ユダはタマルを三男のシラに嫁がせようと考えましたが、「シラもまた兄弟たちのように死ぬかもしれないと、思った」(同11)ため、躊躇(ちゅうちょ)します。そのときタマルは、ある意外な行動に出ました。遊女(売春婦)に変装し、通りがかった舅(しゅうと)であるユダを誘い、その子を身ごもったのです。
自らが関係を持った遊女がタマルだったと知らなかったユダは、タマルが姦淫を犯したと人づてに聞き、「彼女を引き出して焼いてしまえ」(同24)と言いました。そのように、タマルの行動は死を覚悟しなければできないことでした。その動機は何だったのでしょうか? タマルは、神の祝福を受けたイスラエルの血統を残すことを、自分の生命よりも重要なことと考えたのです。
復帰は堕落と反対の経路をたどらなければなりません。
死を覚悟して堕落の道を選んだエバの血統的過ちを蕩減復帰するためには、死を覚悟して神の血統を残そうとする心情の基準を立てなければなりませんでした。そして、神の血統を残すことよりも、自己中心的な男女の愛を優先して堕落が起こったため、タマルは個人的な男女の愛を否定してでも舅と関係を持ち、神の愛する血統を残そうとしたのです。
タマルは蕩減復帰の原則を知るはずがありませんから、ただ神の啓示に従って行動したはずです。それは、神への信仰のために自らの生命と愛を犠牲にする覚悟があってこそ可能でした。ここにおいて、タマルが天に対する絶対的信仰の基準を立てた女性であったことが分かります。