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シリーズ中級講座 6
統一思想入門講座
「統一思想とは何か」<6>

 世界家庭誌で2021年11月号から2022年12月号までの期間に掲載された「中級講座シリーズ」の内容を、「シリーズ中級講座」のタイトルで毎日朝5時にお届けすることになりました。信仰生活の向上、毎日のみ言学習にお役立てください。

統一思想研究院
木南章良・首席研究員

神のもとの人類一家族社会

 次に、共生共栄共義主義について見ていきます。それは統一思想の目指す理想世界、理想国家、つまり、神のもとの人類一家族社会の土台となる概念です。ここで、「共生主義」「共栄主義」「共義主義」はそれぞれ、理想社会における経済、政治、倫理の側面を扱っています。

 共生共栄共義主義は政治体制ですが、一般に政治体制には、法的制度と共にその制度を支える人間の精神が必要だと考えられています(中西寛『国際政治とは何か』中公新書、233ページ参照)。

 真のお父様は次のように語られています。

 「新しい時代の二十一世紀は、共義の時代です。新しい時代の二十一世紀は、物質が幅を利かせるのではなく、精神と霊の時代だというのです。新しい時代の二十一世紀は、神人一体になって生きる時代です。新しい時代の二十一世紀は、他のために生きることが自分のために生きることより、もっと永遠の価値があることを悟って生きる時代です。利己主義は色あせ、共生共栄共義の利他主義がついに凱歌をあげる時代、それが正に明けてくるのが二十一世紀です」(天一国〈てんいちこく〉経典『天聖経』1326ページ)

 共生共栄共義主義には、“利己主義が色あせ、利他主義こそ永遠の価値があると悟っている”という、そこに住む人間の「精神性」が必要だということです。真のお母様が天寶家庭を強調される理由もそこにあると思います。

 それでは、一つ一つ見ていきましょう。

 「共生主義」は、特に「所有」について扱った概念です。資本主義経済は個人的所有(私有財産制)、社会主義経済は社会的所有(共有財産制)という特徴があります。しかし、両者とも心理的要素が全く排除された単純な物質的所有にすぎません。制度だけがあって、そこに人間の精神性や愛という要素が加味されていないのです。

 真のお父様は「右翼も左翼もその根本的な動機が利己主義を解脱できない」(『神様の摂理から見た南北統一』935ページ)と語られました。

 資本主義経済のもとで貧富の格差が生じ、それに怒った人々によって、「共同所有」を掲げる社会主義経済が生まれました。

 人間は本来、“人類全体の福祉の増進のために”働くのであって、“食べるために”働くのは二番目です。人々と同じ給料をもらっても、それが「理想国家」をつくるために価値あることなら、それにやりがいを感じて努力する意欲がそがれないのです。

 しかし、ソ連が共同所有を強調して、結果的に資本主義に経済的に負けて崩壊したということは、制度を共同所有にしてみても、そこに住む人間の精神性は、利己主義の域を解脱できていなかったと言えるでしょう。

▲家庭での共同所有が、人類一家族社会の所有観念の原型

神の真の愛に基づく共同所有

 それでは、共生主義における所有観念とは、いかなるものでしょうか。それは、神の真の愛に基づく共同所有です。その特徴は、①神と私の共同所有、②全体と私の共同所有、③隣人と私の共同所有です。言うならば、私たちが共同管理するように、神から一定の財産が授けられたのです。

 神のもとの人類一家族社会の所有観念は、家庭での共同所有が原型になっています。

 家庭では、全ての財産は父母のものであると同時に子女たちのものです。所有権が父母の名義になっていたとしても、父母と子女が共同で所有しています。例えば、家庭の冷蔵庫の中にあるものは、家族みんなが共同で所有し食べています。

 ここで、父母を神、子女を人間と考えてみてください。牛や羊、そして土地の所有者はそもそも神でした。

 私たちのポケットにお金があるとしましょう。もし、“これは神のお金である”という観念がなければ、いつの間にか、自分だけのものにしてしまうでしょう。それゆえ宗教では“神様から預かったお金”であると教えるのです。神のお金を預かっているのであれば、神が願われるとおり使わなければならないでしょう。自らが十分に食べられるのなら、貧しくて食べられない人に喜びを与えていくのが神の願いであると思って助けてあげるのです(『文鮮明先生の日本語による御言集1257ページ参照)。

 理想世界にも個人所有はあります。人間には本来、各々の所有物を活用し、自身の個性を生かして他人に愛を施す欲望と愛、自由が与えられています。皆さんの心に深く尋ねてみれば、理解していただけると思います。

 それでは、どのくらい持てばいいのでしょうか。自らの良心が知っているとおり、身の丈に合う“適正所有”です。例えば、食事の量が極端に少ないと栄養不足に陥ってしまいます。かといって、必要以上の“過分の食事”を取れば、おなかが痛くなってしまいます。適正な食事の量があるということです。心が清まれば、神がその心を通じて各自の分にあった所有物の適量を教えてくれるのです。

 共同所有と個人所有が併存する社会、それが共生主義社会です。

 また、経済活動の全ての過程は、物質的な財貨の流通過程ですが、それは心情と愛、感謝と調和が共に流れる「物心一如の統一的過程」と言えます。財貨それ自体にも、真心と愛が宿っているのです。

 全ての産業は、①人類全体の福祉の増進(全体目的)、②企業の利潤(個体目的)という二重目的を持っています。本来、企業が新しい製品を開発するのは、第一に製品を利用した消費者に喜んでもらうためで、それを続ける手段としてお金をもうけなければなりません。また、そこから企業の誇りも生まれます。

 現代は、フェアトレード、ESG投資(Environment〈環境〉、Social〈社会〉、Governance〈企業統治〉の三つの観点から企業の将来性や持続性などを分析・評価したうえで、投資先〈企業等〉を選別する方法)などの考え方が浸透してきています。

 かつて企業の使命は、お金をもうけ、税金を国家に払うことと考えられていました。しかし最近は、利潤追求だけではなく、社会的責任を果たすことが願われるようになりました。正に、物心一如の流通が求められているのです。