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心情開拓
心霊を育てる生活原則(108)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

6 心霊の安定した者になるために
(1974年10月4日 前橋修練所)

▲李耀翰先生

最後までカナンを目指すには

 摂理に参加したその信仰人物たちが、初めはそういう立派な動機をもって出発したけれど、途中で脱線した人も多いのです。

 簡単にいえば、イスラエル民族がカナンの地を好んでエジプトから出発したけれど、途中であんまり貧乏したり、苦労するものだから、結局神の摂理とか、神に呼び出され、神によって導かれていくんだというその関係よりも、自分たちの立場で行くんだというように方向が転回してしまうのです。それで、価値観も崩れてしまったのです。

 こういうように失敗した人たちを見れば、方向転回をし、自分を中心として方向を決定したのです。

 そのため、心霊管理が一番問題となるのです。

 自分がみ言(ことば)によって復活されているかということ、本当にそういう心霊管理をすれば、神様が存在し、生きておられることを実感するのです。

 だから信仰を長くやった人で、最後に「神様はいるのかな」と疑いをもつ人が多いのです。だから神学校の教授をやりながら、最後には神様が死んだという論文を発表して、「死んだ神様」という話をするのです。

 皆さん、聞いたことがありますか。「神は死んだ」。これは、神を信じない人が言ったのではなく、一生涯神がいると信仰した神学校の教授の立場での結論なのです。これは何を意味するかというと、本当は信仰者が、信仰している人が、神が死んだつもりで信仰しているということです。

 イスラエル民族がヤハウェの神様がいると言ったけれども、ヤハウェの神様がいないという結論になってしまったのです。それでは、再びメシヤが来ても、メシヤの怨讐(おんしゅう)になってしまうのです。

 ほとんどの牧師は、神がいない生活をしているのです。その人は、自分の学問でもって、知識でもって人を教える、職人になってしまっているのです。生きた神と共に暮らしながら、生きた神を教えなければならないのに、実際は、そうでない人が、牧師の中にたくさんいるのです。名前は牧師ですが、神を紹介する人ではないのです。そういう人が、世間にはあまりにも多いのです。

 私たちの兄弟の中にも、「統一原理」を聞いて入教しているけれども、生きた神と共に暮らせずに、ただ仕事に追われて、職人、または仕事のための人間になっている人もいるのです。相当いる。相当いる! 皆さん、それは経験するはずです。

 例えば、「礼拝に参加しよう」と言っても、「きょうは日曜日だから休みたいのに……、やむを得ないなあ」と。やむを得ずに教会に行っている人がいるのです。心霊を根拠として、心霊の原動力を中心とした生活ではなく、宗教儀式、習慣となっています。初めは神と因縁があったけれども、年が流れ、1年、2年、3年、7年になると、やむを得ずに宗教儀式に従う。やむを得ずに主管されてしまう。そういう立場へと脱線するのです。

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 次回は、「み言による復活」をお届けします。


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