祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 40
死ぬか生きるかという境地

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
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(光言社・刊『祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂』より)

第一章 祝福の絶対価値

第三節 真の父母は永遠の中心

(三)真の父母と祝福を求めてきた復帰摂理歴史④

 今日の統一教会において、先生を中心として、イエス様が亡くなった闘いの峠の基準に直面しなければなりません。ですから、民族が反対し、すべてが先生をたたき潰そうとするのです。言い換えれば、槍(やり)の先を突き合わせる極限の場で、そしてイエス様が亡くなった正にその場において、祝福を成し遂げられるか成し遂げられないかという峠を必ず経ていかなければならないのです。

 それで、1960年代がその絶頂期でした。統一教会の運命が左右される絶頂期だったというのです。死ぬか生きるかという境地において、祝福を成し遂げたという基準を中心に、一つの峠を越えることによってすべてが解放されていくのです。

 そうして36家庭、72家庭、124家庭を中心に、3年の期間にこれを復帰してきました。祝福を成し遂げるために6千年の歴史がかかったのですが、祝福を成し遂げるまでにどのような過程を経たのかというと、三時代を経てきたのです。蘇生(そせい)、長成、完成の三時代、すなわちアダム時代、イエス時代、再臨時代の三時代を経てきたということです。(1581211967.12.26

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 明日は、「天国を実現する家庭基盤」をお届けします。