2023.04.30 13:00
神の沈黙と救い 24
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。(一部、編集部が加筆・修正)
野村 健二・著
第四章 神の人間創造と罪からの復帰
二 人間に創造性を与えられた理由
喜びを交換し合う神と人間
人間が創造されるまで、神には、自己のうちに内的に見えないかたちとしてあるものを、外的に見えるかたちに現して、それを五官でなまなましく感じ取るという創造の喜びがあるだけであった。
「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。神はその光を見て、よしとされた」(創世記一・3〜4)。
ここで「よしとされた」というのは、「喜ばれた」ということである。すべてこのようにして、内的に見えないかたちで構想されたものが外部に見えるものとして現れることによって壮大華麗な大宇宙が展開された。それを見ることは確かに喜びではあったが、しかしそこにおいて全知全能の創造性を有する者は神だけであって、非常な孤独のうちにおられたのである。動植鉱物は神があらかじめ与えられた本能や法則によって動くだけであり、神と本当の意味で心が通じるとはいえない。
それに対し、人間が創造されると同時に、神の有しておられる性質がすべて人間に付与され、心が通じ合うとともに、人間は物の名に限らず、ありとあらゆるものを工夫をこらして造り、神に発見の喜びを与えるようになったのである。
人間が創造したものは神に発見の喜びを与える。逆に、人間は神が創造されたものをあらゆる角度から詳細に研究することによって発見の喜びを得る。このように、お互いに喜びを味わい得るように、また特にその過程で主に人間に喜んでもらいたいと願って、神は人間に創造性(小型の全知全能性)を与えられたと見られるのである。([図1]参照)
神は人間が独自に創造したものを美として感じ取り、それをこよなく愛される。また、人間が神の創造物を夢中になって研究するのをしみじみかわいいと思われる。このように神が人間に創造性を与えたのは、人間を愛するためであるに相違ない。
神は明らかに、自分一人の思いの壮大な展開である動植鉱物の大宇宙を造るだけでは満足されなかった。それをもっと大きく、もっと複雑にふくらませたいと思われた。そこで最大の自己否定をされて、全知全能性を一人で独占されることなく、創造性、すなわち小型の全知全能を備えた人間を創造して、その創造的応答がご自身に還流し、また再びそれを人間に向かって応答するという、ダイナミックな一問一答の交流をすることを期待された。一言でいえば、ご自分の子や孫が欲しいと思われた。そしてそこから始まる、神を中心とする一大家族社会の形成を願われたのである。
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次回は、「人間の堕落によって失われた神の理想」をお届けします。