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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(103)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
五、愛の減少感

▲金元弼先生

神も愛の減少感を感じる

 食口(シック)から疎外されるのを越えるのはたやすいのですが、自分が指導し、信じた人から疎外されるのは心が痛いのです。しかも、自分が尊敬する上の人から疎外されるのは、もっと心が痛いのです。メシヤも、その道をたどっていかれるのです。

 二千年前、すべてを懸けて神を愛したのに、神はメシヤを捨てたのです。その時に、「私は、こんなにも尽くしたのに、神は私を無視した。もう神とは関係ない」と断絶するような境地におかれたのですが、それでもメシヤは神に従ったので、天使長を主管することができたのです。

 私たちが再臨のメシヤに侍り、離れていったその時に、メシヤから疎外感を感じるとするならば、メシヤもまた、私たちから疎外される疎外感を感じるというのです。愛の減少感を感じている天使長を眺める神の心情は、どうだったでしょう。神の心は、天使長から愛の減少感をもっと感じたというのです。

 例えば、愛する子女があり、親がいるとします。その子が成長して子供をもちました。父母は年を取ってきて、その子女が孫と一緒に和気あいあいとしている姿を見ていると、何だか疎外感を感じるというのです。親は孫と子女が和気あいあいとしている中に一緒にいたいのです。そうでなければ、その子女から疎外されるような愛の減少感を感じるのです。

 天使長が神から愛の減少感を感じた時に、相対的に神が天使長から愛の減少感を感じたということを反射的に考えなければなりません。ですから、愛の減少感を感じた私を眺める神の心はどうであったのだろうかと考えるのが、神を中心とした考え方なのです。

 私たちにおいても、私が疎外感を感じた場合、相対的に私を眺める指導者は、同時に私以上の疎外感を感じていることを考えなければならないのです。

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 次回は、「完成の基準」をお届けします。


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