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勝共思想入門 35

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第九章 価値あるものとは何か

五 マルクスの価値論の間違い

 それではこれらの内容について検討をしてみよう。

 労働価値説では、商品の価値、値段を労働時間の長さを尺度として判断し決定するというものでした。しかし、このような価値、値段の理解の仕方ではとても商品価値の決定を説明できないのです。

 まず、自然物の中には、全く労働を加えなくても、価値をもち、値段がつけられるものがあります。そして商品として売買されるのです。土地や山林などはその良い例です。また、同じように労働を加えても、現に商品となるとき、非常に大きな値段の差となって表れるものはどう説明するのでしょう。山から石を切り出す場合と、ダイヤ等の宝石を掘り出す場合などの差をどう理解するのかということです。それぞれの潜在的な値打ち、価値が違うといわなければなりません。ではその潜在的な価値はどうして生み出されたのでしょう。労働者の労働が加えられる以前のことを問題にしているのです。労働時間の長さでは説明できません。また、今日は情報社会といわれています。情報や知識に価値があり、売買されているのです。さてその情報や知識は労働時間の長さで、その価値を計れるものでしょうか。不可能です。このように考えてきますと、労働時間の長さで商品の価値、価格を考えることは不可能であることが分かります。

 では何が価値、価格の本質かといえば、やはり、人間の欲望を満たしてくれる性質といわなければなりません。そしてそのような性質を作り出すのが人間の「創造力」なのです。労働が加えられるということは、人間の創造力が投入されるということであり、その結果、人間に役立つ性質が、欲望を満たす性質がものに付け加えられるわけです。それが商品の価値となり、値段となるのです。ゆえに労働時間の長さとは、本質的に見て、相関関係はないといわねばなりません。創造力を働かせることによって、人間を喜ばせる性質を多くもつ商品ほど、価値は大きいといわねばなりません。

 次に、労働力が商品であるという考え方について見てみます。現代人のとても引っ掛かりやすい考え方です。そして、賃金というのは、労働力という商品の価格であり、時間の長さで決まるというように思い込んでしまっているのです。しかし、こう考えてしまったなら、もうマルクスの術中に完全にはまってしまうのです。労働力は商品というものではないのです。簡単に論証してみましょう。

 「もし労働力が商品ならば」として考えてみます。商品というのは、それを買いたいという人がいて、つまり需要があって初めて生産されるものです。もし、需要がなくなれば、それは生産されなくなるのです。これが商品というものです。労働力を商品とすればその需要とは、雇用されている時ということになります。そのときは、労働力の生産、すなわち、衣食住のための生活資料の消費は当然です。しかし、失業や休業時は需要がないことから、それを生産をしてはならないということになってしまうのです。つまり、衣食住の生活資料の消費はしてはならないということです。しかし、このような論が人間に当てはまるはずがありません。人間の労働力を商品というように見てはならないのです。このような物質的な見方は、人間の能力に関しては当てはまりません。

 非人間化を嫌いながら、マルクス自身、ますます人間の非人間化を進めることになったのです。そして、今の社会主義社会の悲惨さを生み出したのです。

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 次回は、「搾取(さくしゅ)理論の力/資本論での公理」をお届けします。

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