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勝共思想入門 34

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第九章 価値あるものとは何か

四 労働力という商品

 人間の価値についてはどのように考えているのでしょうか。これは人間の本質とかかわり合いをもってくるのですが、既に前に出した人間観のところで述べています。唯物論の立場をとる共産主義には、人間の尊厳性の根拠を説明することは不可能です。それは、動物と人間の区別ができないからなのです。すべてを物質の発展、発達の結果として見るのですから当然です。

 結論としていえることは、マルクスは、人間の価値について真正面から取り組んだことがなかったということです。物質的に見たり、考えたり、説明したりするということは、量という尺度で見たり、考えたり、説明したりすることです。ですから、全人格的内容については説明することができないで、人間の量的に見ることができる部分だけを取り出して、その価値を考えるようになったといえるでしょう。それが、「労働力の価値」ということです。

 労働者についてのマルクスの考え方を述べてみましょう。労働者とは生産手段(機械、原料、工場等)を持たない人々です。このような労働者は、資本家に労働力を売ることによって生活しているといいます。売るとか買うとかということは、それが商品として扱われていることを意味しているというのです。ここで、マルクスは労働力は「商品」であるとしました。商品というのはこれまで見てきましたように値段がつくものです。それでは労働力という商品の値段はどうしてつけることができるのでしょう。一般の商品の場合は、それがつくられるのに必要な労働時間(社会的に必要な平均労働時間という考え方を用いています)で、値段がつけられていました。労働力の場合も同じだというのです。

 少々乱暴な言いかたですが、1時間残業したので残業手当としてこれくらいはもらえるはず、というように時間単位で給料が計算されているような状況を考えると、マルクスの考え方も妥当なのかなと思ってしまいます。共産主義では次のように考えます。

 ──労働者が1日職場で働く。くたくたになって家に帰る。その時はもう働けない。働く能力(=労働力)を使い切ったというのである。ところが翌日になればまた働きに出る。また労働力が出てきているのである。どうしてなのか。食事をし、本を読んだり、風呂に入ったり、テレビを見たりして、布団に入って眠るからである。つまり、労働力がゼロになった段階から、翌日、十分労働力が出てきたということは、労働力が生み出されたということである。生産されたということである。ということは、風呂に入ったり、本を読んだり、テレビを見たり、寝たりという生活にかかった費用が労働力の値段ということになる。生活維持に必要なお金がそれに当たる。だから、この中には衣食住、光熱費、文化費、レクリエーションの費用もみな入る。そして、忘れてならないのが、次の世代の労働力の確保のための費用、子供の養育費である。これらの合計が労働力の値段となるという。この値段が「賃金」である。──

 以上が労働力という商品の価値に対しての考え方なのです。

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 次回は、「マルクスの価値論の間違い」をお届けします。

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