2023.04.25 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 264
キリスト教と日本㊸
クラーク博士と札幌バンド
ナビゲーター:石丸 志信
札幌で人気の観光スポットとしてまず名前が上がるのが、「札幌市時計台」だ。現存する最古の時計塔で、かつては町の中央にそびえ立っていたようだ。
行ってみると、高層ビルの谷間に挟まれひっそりと建っているように見える。
この時計台の正式名称は、「旧札幌農学校演武場」。1876年、この付近に札幌農学校が開設された。同校の学生たちが横浜バンド、熊本バンドと並ぶ日本のプロテスタント発祥の基点となる札幌バンドを創設することになる。
農学校に初代の教頭としてウィリアム・スミス・クラークが招聘(しょうへい)された。
彼は植物学を専門とし、米国でも農業科学教育に力を尽くしていた。マサチューセッツ農科大学の学長時代に、1年間の休暇を利用して札幌に赴任したので、滞在はわずか8カ月であった。
しかし、その間に、マサチューセッツ農科大学と同等のカリキュラムを組み、自然科学全般を英語で講義した。
また、「紳士たれ」とのモットーを掲げ、厳格な規律に基づく全人格的教育に取り組んだ。最高の道徳教育はキリスト教なくしてはないとの信念から、聖書を配布し、自らもその精神を実践して学生たちを導いた。
彼は札幌を離れる前、「イエスを信ずる者の契約」を起草し、学生たちに署名を求めた。
その契約には、キリスト者の義務を果たし、主の栄光と人々の救いのために、「イエスの忠実なる弟子なるべきこと、および主の教えの文字と精神とに厳密に一致して生きるべきこと」を厳粛に守り、しかるべき機会には洗礼を受け、教会に入会することを誓うと記されていた。
1877年3月5日、すでに師の感化を受けていた第一期生全員がこれに署名した。
クラークが帰国した後、「契約」に署名した一期生たちの信仰に対する熱心は衰えることなく、9月に入学した第二期生たちに半ば強制的に署名を勧めた。
初め躊躇(ちゅうちょ)した者もいたが、やがて一期生の熱心さに押され、二期生たちも次々に署名していった。
彼らは自主的に聖書を読み、祈祷会を持って互いを励まし助け合い、共に洗礼を受けていった。
「イエスを信ずる者の契約」に署名した一期生には、後に北海道帝国大学初代総長となる佐藤昌介がいる。日本初の農学博士となり、学問、教育面でも後進の育成に当たり、クラークのまいた種を実らせていった人物といえる。
二期生には、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾らがいる。彼らが信仰に導かれる際にも、佐藤昌介の存在は大きかった。
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