2023.04.12 17:00
スマホで立ち読み Vol.23
『み言に学ぶ統一原理【後編】』4
スマホで立ち読み第23弾、『み言に学ぶ統一原理【後編】』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
本書は文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が統一原理について語られた内容を『原理講論』と同じ章構成でまとめたみ言集の後編です。
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緒論について
第一節 蕩減復帰原理
(一)蕩減復帰
④蕩減条件
私たち堕落した人間は、善を追求するにおいて、善を追求してその道に従っていくといっても、誰もがその目的を達成できるようにはなっていないのです。善の主体であられる神様がいらっしゃり、ここに相反した悪の主体であるサタンがいるので、神様とサタンの間で、神様とサタンが認める条件を立てなければ、方向転換して善の立場を求めていくことができません。
言い換えれば、今日の立場からより良い善の立場に出ていくためには、それに相応するある代価を払わなければならないのです。そうでなければ、より良い善の立場に到達できません。ですから、それに相応する内容の蕩減(とうげん)条件を神様が提示するか、人間が提示するかしなければならないというのが原則です。(48-59、1971.9.5)
今までこの歴史を誰が動かしてきましたか。サタンが動かしてきました。ですからサタンを分別しなければなりません。サタンを取り除かなければ、神様は入ってこられないのです。神様の領土ではなくサタンの領土なので、堕落した圏内から蕩減条件を立ててサタンを分別しなければならないのです。追放し得る蕩減条件を立てなければ、神様の領域が拡大され神様が活動できる基盤を築くことができません。(161-203、1987.2.4)
サタンをどのように分別させるのでしょうか。蕩減条件を立てることができる立場に立った、アダムの代わりの存在にならなければなりません。ですから本然の基準において責任分担を完成した資格者となったアダムの位置で、真(まこと)の愛を中心としてサタンと対決し、サタン側で愛するよりも天の側でもっと愛したという条件を立てることによって分別が行われるのです。ここに蕩減条件が成立することを知らなければなりません。
サタンは環境を支配しているので、中傷、謀略をして、どんな手段を使ってでも切ってしまおうとするのです。しかし、その環境を克服して、どんなことがあっても神様に代わってアダムが失った責任分担を取り戻せば間違いありません。それは永遠のものです。そして、神様を愛することにおいて、誰が何と言っても絶対に間違いないと言える基準を立てなければ蕩減ができないというのです。(161-205、1987.2.4)
アダムが責任分担を果たすことができなかったので、責任分担を果たすにおいて、私たちが誰かの協助を受けてはその使命を完遂できない立場にいます。最後の決定は私たち自身がするのです。言い換えれば、善の人になるのか、悪の人になるのか、ということを決定するのは、神様がしてくださるのではなく、私たち自身がしなければならないのです。(29-333、1970.3.14)
人間が堕落することによって、どんな結果が現れたのでしょうか。人間世界から神様が追放され、天使世界が追放され、万物世界を失って、その次には個人基準、家庭基準、氏族、民族、国家、世界基準をすべて失ってしまいました。その責任は誰にあるのでしょうか。その責任は神様にあるのでもありません。天使世界にあるのでもありません。万物にあるのでもありません。人間にあるのです。このような結果が現れたのは人間の責任です。ですから人間は、自分たちが責任をもって復帰路程を歩んでいくべき運命に置かれているのです。(100-264、1978.10.22)
蕩減条件は、神様がお立てになるのではなく、人間が立てなければなりません。病気になった人が病気を治すためには、薬が苦くて飲みたくなくても飲まなければならないのです。「良薬口に苦し」です。苦いものが本当の薬になるのです。蕩減条件を立てるのは、苦い薬を飲むように難しいことです。しかし、蕩減条件を立てなければ復帰できません。(92-254、1977.4.18)
蕩減というものは、必ず反対に払っていかなければなりません。救援摂理は蕩減復帰です。そして、蕩減復帰の路程は再創造摂理です。そのまま上がっていくことはできません。落ちたのなら、落ちたとおりに上がっていかなければならないのです。それが道理であり、公式です。ブループリント(青写真、設計図)によって工場で生産されたものが故障すれば、再びブループリントを通して製作されなければならないのと同じです。(274-51、1995.10.29)
蕩減条件というものは、私たちにとっては有り難い恩賜です。95パーセントは神様の責任であり、5パーセントは人間の責任です。これをまるで公式のように考えるかもしれませんが、私たちがこのような条件的な蕩減をするということは、とても悲しいことです。その条件的な蕩減を条件的な蕩減ではない基準まで引き上げるためには、その背後で神様の苦労が介在されなければならないのです。なぜなら、私たちが堕落した先祖の子孫として生まれたからです。(29-335、1970.3.14)
一人で暮らす善良な寡婦が、亡くなった夫の負債を払わなければならない立場にいるとき、周りの人がすべて同情するようになります。そして、そのうわさが債権者にも届き、同じように同情して、「大勢の人たちが願うとおりに私がしてあげなければならない」と考え、負債の一部だけを返済することで全額を支払ったとみなしてくれることがあるのです。このような立場に立つとき、蕩減されたといいます。小さい条件的なお金で多くのお金を支払ったものとして扱うようになるとき、それを蕩減条件金というのです。(264-269、1994.11.20)
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次回は、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」をお届けします。お楽しみに!