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神の沈黙と救い 21

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『神の沈黙と救い』より)

第四章 神の人間創造と罪からの復帰
一 人間の創造

神の性質とそっくりに造られた

 エバとアダムの原罪。それは、前述のとおり、宇宙全体の支配権にかかわる根本問題であったが、神が自ら定められた性の原則と、人間の自由不可侵の原則とに従って、これにも全く干渉されなかったので、ついに占有した人間を通して宇宙全体がルシファー(天使長、サタン)の支配下に置かれるようになった。「この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしている」(第二コリント四・4)とあるとおりである。(ここで「この世の神」とあるのはサタンであって、サタンが今なお神のように地上を支配しているということを示す)

 しかし、ではなぜ神はそのようなことを原則として定め、サタンに宇宙の支配権を奪われるという犠牲を払われてまでも、あえて沈黙されたのであろうか? それは、神の理想上どうしてもそうせざるを得ず、その時点でそういう犠牲を払っても後でそれ以上の至上の価値を取り戻し、実現することが可能であったからであろう。

 ではその神の理想とは何であり、またそういう犠牲を払わざるを得なかったのはなぜであろうか? それは、神が人間をどのような目的で、どのような性質のものになってもらいたいと願って創造されたかという究極的な根本問題とかかわってくるものである。そこで、このことを、まず聖書に基づいて突き止めることにしよう。

 聖書には、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女に創造された」(創世記一・27)とある。

 「神のかたち」というのは、ヤコブの手紙三章9節に「神にかたどって造られた人間」とあるのと同じ意味で、神の性質とそっくりに造られているということを意味する。

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 次回は、「創造性と愛を表出するための人間の自由」をお届けします。