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家庭教育局だより 13
真の愛への出発「聖決式」③
神様が選んでくださった“一人”を永遠に愛する

 今回は、2022年10月16日に行われた第14回「孝情礼拝」で語られた松山平男局長の説教を中心に、「聖決式」の意義や純潔の貴さを学びます。(『祝福家庭』2022年冬季号より転載)

松山平男 家庭教育局長

家庭や社会で「ために生きる」愛を育みながら“時”を待つ
 では、アダムとエバは愛の“何”を間違ってしまったのでしょうか。

 エデンの園で、神様は「取って食べてはならない」(創世記二・17)との戒め、み言を下さいました。それは、アダムとエバが男性と女性として一つに結ばれるには、その「時」の完成を待たなくてはいけないよ、ということです。

 ではその「時」というのはどんな時でしょうか。それは「愛を育てる時」、別の言い方で言えば、「相手を愛する準備ができた時」でした。

 人間は、小さな子供のときはわがままな面を持っています。好きなおやつを食べるとき、自分が大きいほうを食べたくて大泣きすることもあります。でも、少し成長すると、大好きな弟や妹に大きいほうのお菓子を譲ってあげることができるようになります。また、お父さん・お母さんから愛されたい、何かしてもらいたいという次元から、喜んでもらいたい、何か助けに、支えになりたい、という次元に成長します。

 このようにして私たちは、「ために生きる愛」を、少しずつ学んでいくのです。これが、子女の愛、兄弟姉妹の愛を育てるということです。

 そして、その愛の土台の上に、祝を通じて結婚し、夫婦の愛を育てていくことになるのですが、皆さんは、結婚した夫婦が長く、仲良く暮らすためには、どんな愛が必要だと思いますか?

 例えば、結婚生活の中で、相手(奥さんや旦那さん)より損をしたくない、私はこんなに苦労しているのに、相手はこれくらいのことしかしてくれない、相手のほうが楽をしているようで悔しい、相手は自分のためにこうしてくれるべきだ、などと互いに思っていたらどうでしょうか。果たして、こんな夫婦が幸せになれるでしょうか。

 逆に、相手のためだったら自分が少しくらい苦労してもよい、相手の喜ぶ顔が見られればそのほうが幸せだ、相手のために自分は何をしてあげられるだろうか、と考えることのできる男性と女性が出会ってこそ、真の愛がどんどん広がる、永遠に幸せな夫婦になると思いませんか? それが、神様に似た愛、ために生きる愛の実体になるということです。

 このように、ために生きる真の愛を備えることを、「人格完成」と言います。アダムとエバは、このような愛を育てる成長期間を通して真の愛を成長させるまで、男女の愛を中心に出会う時を待たなければなりませんでしたが、結果的にそれができませんでした。

 これを統一原理では「時ならぬ時に時のことを望んだ」と表現します。「まだその時が来ていないのに、先にそれを望んだ」ということです。


▲「孝情祭2021」で挙行された「聖決式」(2021116日、東京・松濤本部ほか)

 そして、アダムとエバにおける、より大きな愛の過ちは、これは特にエバにおいてですが、愛する相手を間違ったということです。アダムとエバは、神様によって長い歴史をかけて準備された愛の相対であり、互いに愛で結ばれる幸福な未来、それはすなわち、人類の地上天国に続く未来が準備されていました。

 ところがエバは神様の愛の根っこを引きちぎって、相対となることが許されない天使長と愛の関係を結び、さらにはアダムと関係を持つようになって、二人の男性を愛するような立場に立ってしまったのです。

(続く)

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