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神の沈黙と救い 19

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『神の沈黙と救い』より)

第三章 失楽園での神の沈黙
二 失楽園での出来事

神が定めた男女の関係

 最近は、性の問題があまりにも軽々しく扱われているために、こういっても、どうしてそれが殺人よりも重い決定的な罪悪なのか、ぴんと来ない方もあろう。しかし、神が定められた不動の原則からいえば、これは実は大変なことなのである。

 「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。……それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」(創世記二・2224)。

 「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者(神)は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(イエスの言葉、マタイ一九・46)。

 「それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。『ふたりの者は一体となるべきである』とあるからである。しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである」(パウロの言葉、第一コリント六・1617)。

 「妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である」(第一コリント七・4)。

 すなわち、男性と女性とがいったん性的関係を結べば、もはや二人ではなく一体だとみなされる。これが神の定められた原則であり、それ以後、妻の体(あからさまにいえば、性器)は夫のものであり、夫の体(性器)は妻のものであって、それぞれ自分のものではあってもそれを勝手に使うことはできなくなるというのである。

 これは、神がご自分で決めた原則なので、神もこれをどうすることもできない。それを守らなければ、神は絶対の存在ではなくなり、神でなくなる。それゆえ、ルシファーがエバと一度でも性的関係を結べば、エバはルシファーのものとなり、エバがそれを取り消す条件を立てて努力しない限りは、神もそれを承認せざるを得ないのである。

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 次回は、「原罪の重さと神の沈黙」をお届けします。