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勝共思想入門 28

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第八章 弁証法について

 ギリシャ時代から今日に至るまで、人々は世界の本当の姿はどんなものであるかを探ってきました。共産主義者はそこに二つの対立する見方が生じてきたとしました。唯物論と観念論の対立、そしてこれから説明しようとしている弁証法と形而上学との対立がそれであるというのです。もちろんこのような分け方は共産主義者によるものであって、世界の真の姿をそれ以外のものとして見る立場もあるのです。

一 弁証法とは何か

 弁証法という言葉はマルクスによって初めて使われたのではありません。古い歴史をもつものなのです。そして伝統的な弁証法の立場からすれば、マルクス、エンゲルスの唱える弁証法は異質のものといってもよいものなのです。

 さて、弁証法とは何かということを伝統的な使われ方から出発して、理解してみようと思います。

 弁証法はその出発を、人と人との「対話」にもっているのです。「弁」は弁(べん)ずる、話すの意味をもち、「証」は、あかす、あきらかにしていくという意味をもつのですから、当然のことといえます。

 対話するということは、どのようになることなのでしょうか。どのようにして対話の中で、ものの真実の姿をつかむのでしょうか。

 例えばAという人がコップを真横から見て、「このコップは長方形をしている」と言ったとします。これは、真横から見ているという条件のもとでは正しいのです。ところが、今度はBという人が同じコップを真上から見て、「いやこのコップは円(まる)い」と言いました。この意見も、Aという人と同じく、真上から見てという条件つきで、やはり正しいのです。コップの真の姿は、Aという人の意見も含んでいますが、それのみではなく、Bという人の意見も含んでいますがそれのみではない、両方の意見を総合したものであります。両者共に他の意見を認め合いながら、真のコップを理解するようになるのです。ここで、Aという人の意見を肯定(あるいは正)とすれば、Bという人の意見は否定(あるいは反)となります。両方の意見を含みながら、しかし、両方でもない総合(あるいは合)が真の姿となっているというのです。これが弁証法のいわゆる、正反合の原型であり原点なのです。

 哲学者スピノザ(16321677)は、「すべての限定は否定である」という有名な言葉を残しています。ある事柄についての発言は、そのことについての部分的な説明を含んでいるのみであって、決してすべてを説明しているのではないということです。先ほどのコップについての例のごとくです。ですから、否定的な次の説明が必ず出てくるようになるということを意味している言葉です。

 このように、対話の構造の中に、真理に近づいていくための考える方法が示されていると見たのです。それがのちに、弁証法といわれるようになっていったのです。

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 次回は、「弁証法の理想型/形而上学とは何か」をお届けします。

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