2023.02.28 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 256
キリスト教と日本㉟
岩倉使節団と「旅」の終わり
ナビゲーター:石丸 志信
かつて新バビロニアに征服された南朝ユダ国の人々は国を奪われ捕囚の身となったが、70年後に解放と帰還の時が訪れた。
明治維新直後に流刑になり配流地で苦難の生活を強いられた浦上のキリシタンたちも、5年後に「旅」の終わりを迎えた。
1873年(明治6年)2月24日、太政官布告をもってキリシタン禁制の高札が撤去され、江戸の禁教令以来250年余り続いたキリシタン弾圧政策に終止符が打たれた。
さらに、3月14日には太政官達(だじょうかんたっし)をもって「長崎県下異宗徒帰籍」が命じられ、浦上キリシタンの配流地からの解放と帰還が許された。
ここに至ったのは欧米世論の抗議や外国政府の反発の高まりによるところが大きい。
明治政府は1871年に岩倉具視を正使とし、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳を副使とする使節団を欧米12カ国に派遣した。欧米の先進諸国と友好親善を図りその技術や制度を視察し、旧幕府が締結した不平等条約の改定のための地ならしをするのが目的だった。
しかし、使節団は行く先々で日本がキリスト教弾圧政策を取っていることを非難され、信教の自由を認めるよう迫られた。
その結果、岩倉具視は配流したキリシタンの解放と信教の自由を幾分でも認めるよう、日本に向けて急きょ電報で要請した。これが太政官布告につながったのである。
5年間にわたる「旅」の途上、苛酷な責苦により660人余りが殉教し、1千人以上が棄教した。
1873年の春、生き残った者たちは帰還が許され、故郷浦上に次々に帰ってきた。
家も家財も奪われ荒れ放題になっていたが、信仰の自由を得た喜びで彼らは、故郷の復興に努めることができた。
しかしながら、禁教令の下3世紀にわたる弾圧政策が取られ続けた結果、人々の心に植え付けられたキリスト教に対する憎悪、偏見は簡単に拭えるものではなかった。
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