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「性解放理論」を超えて(73)

性の自己決定論の理論的背景

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

七 日本の性解放理論への批判
(二)性の自己決定論

(2)性の自己決定論の理論的背景

①フロイトによるキリスト教道徳の否定
 フロイトは、人間を抑圧しているキリスト教道徳を否定せよと言う一方で、人間の野蛮な心であるイド(エス)を自律的、合理的なエゴで抑圧せよと主張しました。すなわち、フロイトは絶対的、普遍的な規範──神の戒め、ロゴス、天道など──を否定し、性行動の決定は個人の自律的な意思に任せるべきであるという性の自己決定(self-determination)の主張に道を開いたのです。

②フロイト左派の性解放理論
 フロイトは、人間を本来、性的な存在と見ました。その自然の成り行きとして、性の解放(フリーセックス)を主張するフロイト左派が生まれました。ライヒは、性的な満足(オルガスム)を得ることによって、神経症は治ると主張し、マルクーゼは、もう一度、知恵の木の実を食べなければならない、そして原罪は再び犯されなければならないとまで主張しました。宮台真司の、「青少年の性行為一般を『いけない』と断定しないこと」、「単純売春(非管理売春)については、早急に合法化するべきだ」などの主張は、フロイト左派に通じるものです。マルクーゼは「ほんとうに自由な文明では、すべての法則を、個人が自分に課するものである」と言いますが、それは正に「性の自己決定論」であったのです。

③英国の自由主義哲学
 宮台真司は、自身の自己決定理論は英国自由主義哲学、特にJ・S・ミル(John Stuart Mill)の思想に基づいていると言います(※7)。しかし、渡部昇一・中川八洋(やつひろ)が言っているように、「他人の自由を害しない限り何をやってもよい」というミルの「自己決定」の「自由」には、自らの「不倫」を正当化する目的もあったのです。

 このような「自己決定」は、英国社会主義の開祖J・S・ミルの『自由論』(1859年)によって初めて造語された概念である。が、ミルの眼目の一つは、極めて私的なものであった。なぜなら、『自由論』そのものが、一妻二夫主義のテイラー夫人の愛人(第二の夫)となったミルが、その「第一の夫」やその子供らと共棲する「異常な家族」に対する世間のごうごうたる非難に、「私の自由だ! 私の勝手だ! 大人の男女関係は自己決定させろ!」と反論した個人的な“反駁(はんばく)の書”であるからだ。一般的に自由を論じた通常の哲学の理論の書ではない。「異常不倫」を自己正当化すべく、屁理屈をためらう余裕もない状況下で書かれた書であった。

 「他人の自由を害しない限り何をやってもよい」というミルの「自己決定」の「自由」は、むろん、自らの「惇徳(はいとく)の自由」たる「不倫」を正当化する理屈以外の目的もあった。「自己決定」をもって「唯一の確実な永続的な(社会)改革の源泉」としたように、個人の「自己決定」を、英国を社会主義社会に改造する有効な手段と見なしたからである。社会主義社会とは伝統や慣習から切断された個人からなる人工的社会である。かくしてミルは、伝統や慣習から離脱せよ、と次のように煽動(せんどう)する。ミルにおいて「自由」のことである「自己決定」とは、「慣習を打倒せよ!」という社会改造運動の理論(理屈)であった(※8)。

 渡部・中川は、さらにミルの『自由論』とは、そのように、社会全体を無徳と惇徳の「放縦の自由」の巷(ちまた)と化すための、劇薬であったと言います(※9)。そして宮台の自己決定論は、正にそのような劇薬を受け継いだのです。

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7 宮台真司、他『性の自己決定原論』紀伊國屋書店、1998255
8 渡部昇一・中川八洋『教育を救う保守の哲学』徳間書店、2003149150
9 同上(151

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 次回は、「ネオ・マルクス主義フェミニズム」をお届けします。


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