2023.02.16 22:00
勝共思想入門 25
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)
光言社・刊
第七章 唯物論について
唯物論は共産主義のものの見方、考え方の最も基礎となるものであるとよく言われます。しかし、マルクスにとっては、唯物論の体系的考え方が最初にあって、次にそれ以外の歴史観や経済学などが体系としてまとめられていった、というのではないのです。つまり、正確には、唯物史観は弁証法的唯物論を歴史に適用したものとはいえないのです。つまり、マルクスにとっての哲学とは、唯物史観のみであったのであり、弁証法的唯物論といえるように、独立したものとして体系づけたのはエンゲルスであったからです。マルクスがその思想を形成していく過程をたどっていきますと、そのことが分かってきます。しかし、共産主義思想といいますと、マルクス、エンゲルス、レーニンの考え方のまとめられたものをいっています。
一 哲学の根本問題
唯物論は共産主義の哲学です。ところで哲学とは何でしょうか。哲学とは世界観について研究する学問であるといわれます。哲学は世界を一つの“つじつま”の合ったもの、合理的なものとして理解しようとするところから始まったのです。世界をかたちづくっている一つ一つのものについて説明するというのでなく、それらを含む世界全体をどのようにとらえたらよいのかということなのです。
例えば、ギリシャ哲学の父といわれているのはタレス(BC624〜545)という人ですが、タレスは、世界は水から成り立っている、水こそアルケー(根本原理)であると考えました。そして、そのことの理由を説明したのです。合理的なかたちでまとめたという点が、哲学の父の名にふさわしいというわけです。
土を掘れば水が出る。岩からも水がしみ出る。木を燃やしても水分が出る。空気の中にも水分がある。生物は水がなくなれば死んでしまう。肥料や食物の中にも水はある。人間の中に血がある。涙も出る。生命の根源である種子にも水がある。そして、大地は水の上に浮かんでいるのであり、水の中の透明で軽いものが空気となり、勢いが強ければ火となり、重く濁れば土になる。だから水が世界の元である、と考えたのです。
この理由が正しいか、正しくないかは別として、世界を“合理的に一つの原理で説明”しようとしています。このような研究姿勢が“哲学をしている”姿勢であるというのです。
このようにして、哲学は世界を合理的に、統一的に理解しようとするものですが、そのとき問題になるのは何かということについて考えてみましょう。
私たちを含めてこの世界は、様々な存在によって成り立っています。私のもっているこの“鉛筆”、そして“原稿用紙”、“机”、右側には“電話”、“窓”には“ブラインド”があり、そのすきまから、“太陽”の光がさし込む。もう夏が近いんだなあという“思い”が頭の中に浮かんでくる。こんなに天気のよい日は、公園ででもゆっくり寝そべってみたいという誘惑の“思い”にかられる。こういった事柄(“”でくくってあるもの)が世界というものの具体的内容です。
世界を統一的に理解するためには、これらの事柄を同類項同士まとめていくことから始めるべきだと考えられます。そうすると、物質的なものと、精神、意識といえるものとに分けられてきます。
デカルト(フランスの哲学者、1596〜1650)はこのようにしてまとめ上げられたものを、「延長(物体の本性をそのように見た)と思惟」と呼び、エンゲルスは「存在と思考」といいました。一般的には、「物質と精神(あるいは意識)」といっています。このようにして、物質と精神は世界のすべてのものについての最高の(最も根本的な)概念となっているのです。
どんな哲学でも、ここまでは大体一致しています。問題はここから先のことなのです。哲学というのは、世界を統一的に見なければならないという前提というか、運命ともいえる使命を負っています。そこから当然、物質と精神とはどういった関係になっているのか、さらに、どちらが根本で、一次的で、どちらが派生的、二次的なのかという問題に解答を与えなければならないということになります。
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次回は、「唯物論と唯心論/物質とは何か」をお届けします。
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