2023.02.09 22:00
勝共思想入門 24
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)
光言社・刊
第六章 国家について
二 共産主義的国家観の批判と代案
共産主義の国家観は、一つの定まった結論(労働者階級による権力の奪取)に、すべてを結びつけようとする意図的なものであり、現実を十分説明できなくなっています。
国家が、人間対人間、集団対集団の対立を調整し、一つの秩序ある状態を保つための公的な強制力をもつものとして考えた人は、マルクスや、エンゲルスのほかに、多くいました。ホッブス、ロック、ルソー、ヘーゲル等々です。しかし、それを、支配階級のためのみのものとして、全くの悪なるものとして、階級的な位置と意味を与えたのはマルクスです。そして、そのことのゆえに、一面的な考え方となってしまったのです。
国家が、支配階級のものとしてのみ存在するものでないことは、階級意識が、民族意識、同族意識を超えることができなかったという歴史的事実から見ても分かります。
第一次世界大戦のとき、第二インターナショナル(社会主義者の国際的組織)の社会主義者たちは、各々、相手国のプロレタリアートと協力しないで、自分の国の政府を支持して戦いました。その結果、第二インターナショナルは崩壊してしまったのです。
労働者にとって、支配階級のものである国家のため、何ら忠誠を尽す必要はなかったはずなのです。しかし、国家とは、共産主義者の主張するようなものではなかったのです。
労働者は、自然な心の願いに従ったのです。その他、中ソの対立に代表されるように、今日では、共産主義諸国が国際的な団結をなさずに、むしろ、民族的共産主義路線の方向に行っていることを見ても、そのことが分かります。
さて、結論ですが、国家の成立を単に経済的な観点から説明するのは間違っています。
国家とは、本来、「家庭」の拡大、延長されたものであると見るべきなのです。もちろんほかにも、様々な要因となるものが考えられますが、この観点を中心にすえて考えるということです。
現実は、対立、衝突の緩和のための国家の一面もありますが、しかし、もっと積極的には、各個人同士、集団同士の相対的関係(授受関係)が、より広く、活発に行われるための共同事務を担当しているのが国家であるのです。国家の健全な発展を願う、真の愛国者になりたいものです。
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次回は、「哲学の根本問題」をお届けします。
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